6.26白川大水害の5日後に撮られた1枚の写真、ここはどこだか分かりますか?
・・・これ実は通町筋なんです。
このように熊本の街は水害のあと火山灰交じりの土砂に覆われ、復興の妨げとなりました。
捨て場に困った当時の行政は、土砂の一部をある場所に埋める判断を下します。
それは熊本城の堀でした。

【田尻康博さん】
「水が家に来てから2階や3階に上がれば大丈夫と思い、結果家ごと流され亡くなられた人が大勢いました」

小学3年生の時に6・26水害を経験し、現在も地域の防災教育に取り組む田尻さんに当時の様子を聞きました。

【郡司琢哉アナウンサー】
「熊本の街は、そのあとはどんな状況だったんですか」

【小学5年生の時に6・26水害を経験した田尻康博さん(81)】
「とにかく自分の家は畳の上に30~40センチのヨナ(火山灰)土と言ってもいいかな(が積もった)。
結局阿蘇の火山灰がずっと積もり積もっていたわけでしょうから、それが大雨によってすべて白川に流れ込んで、それがあふれて、そして市内中ヨナがいっぱいになってしまって、だから始末が悪いです。
みんなでヨナとか片づけるのに、1カ月か2カ月ぐらいかかったのかもしれませんね」

当時の写真を見ると、道に積み上げられた土砂の高さは大人の背丈ほどあり、車の通行はできません。

ちなみに奥に見えているのは大洋デパート。
そう、場所は下通です。

こちらの写真でも建物の1階の半分くらいの高さまで土砂が達し、それはまるで
海岸か砂丘のよう。

奥には、泥をかき出そうとする人の姿が写っています。

場所は現在のシャワー通りです。

では街を覆いつくした土砂は、どこに捨てられたのでしょうか。

【郡司アナ&熊本城調査研究センター嘉村哲也さん】
「すっかり公園の場所ですけど、ここに埋められたということなんですか?」
「そうですね、実はここに埋められています」
「ということは、私たちは今6・26水害の時に出た土砂の上に立っている?」
「そうですね、間でちょっと公園整備の土はありますけど、その上に立っていると
言えると思います」

ここは県立第一高校近くの古城堀端公園。
その名の通り古くは熊本城の堀、しかも水堀だった場所です。

【嘉村さん】
「熊本城が特別史跡とか史跡ですので土地を改変する、『掘る』とか『盛り土をする』とか『堀を埋める』とか、そういったことがあれば届け出、申請書が必要なんですけど、その申請の記録が6・26のあと7月13日に出ています。
そこに、ここに約6000立方メートル入れるという記述が書かれていました」

【郡司アナ】
「でも熊本城の堀に、水害で出た土砂を埋めるという発想というのは、どんな背景があるんでしょうね」

【嘉村さん】
「その申請書を読むに、すごく切実な状況が書かれていまして、水害で出た土砂で処分が必要なものが250万立方メートル、ここに入れるのが6000立方メートルなんですけど、全然足りないような途方もない量が出ていて、『遺構を傷つけないように
埋めますので何とかお願いします』というような文面で書かれていましたので、非常に困っているというか、大変な状況だったんだなというのが、その文書から想像できます」

実際、近年公園の街灯工事で地面を掘った際、ガラスなどのごみが交ざった火山灰質の土の層が確認できたということです。

土砂は城内の別の場所にも、埋められていました。

【郡司アナ&嘉村さん】
「ここも、同じように水害があったあとに土砂を持ってきて埋めた場所です」

ここは西出丸の西側と北側に広がるL字状の空堀、記録によると、ここに3万立方メートルの土砂が埋められたそうです。

【郡司アナ&嘉村さん】
「だいたい厚さにしてどれくらいというのは、分かってるんでしょうか」
「記録によると5メートルとあるんですけど」
「5メートル!?」
「ここの堀の形状が一部平らな部分があって、そこから一段階深くなるような形状を
していまして、その一番深い所では8メートルぐらい埋められている」
「8メートル!?」

現在は、熊本地震で崩落するなどした石垣の仮置き場となっている西出丸北側の空堀。

江戸時代の絵図では、堀の中にさらに堀を設けたような「犬走り」と呼ばれる形をしていましたが、ここにも水害後の土砂が入れられ、現在のような姿になりました。

「6・26」以前は、棒庵坂南側の空堀と同じ高さだったということから、入れられた土砂がいかに多かったかが分かります。

そしてもう一カ所、現在は解体・再建のための工事用の足場が組まれている宇土櫓西側の堀でも、3年前の発掘調査の際、6・26水害のものとみられる層が確認されました。

この場所に水害の土砂を入れたという記録はなく、どのような経緯で入れられたのかは分かっていません。
これら6・26水害の痕跡は、いずれも熊本地震後の調査で見つかったもの。

「土砂の一部を堀に埋めた」という文献上の記録を、視覚的に確認することができた形です。

【熊本城調査研究センター 嘉村哲也さん】
「この機会に地質調査、ボーリング調査などをして、実際にどんな土が埋められているのかというのを目の当たりにすることができて、順番に積み重なっている土を掘っていくことで歴史に迫っていくということをやっていますので、今回大きな成果であるかなと思います」

熊本の自然災害史上最悪と言われる「6・26白川大水害」の痕跡は、熊本城の堀の底に刻まれています。

テレビ熊本
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