西日本一の規模を誇る大きな茅葺き屋根の建物。建ってから20年。初めての葺き替え作業にカメラが密着した。全国から集まった職人たちが、建物に新たな命を吹き込んでいく。

「京都にもこんな大きなものはない」

福岡・久山町の山奥にある和風建築。久原本家の「御料理茅乃舎」だ。特徴は大きな茅葺きの屋根。2025年の冬から、その葺き替え作業が行なわれてきた。

久原本家「御料理茅乃舎」(福岡・久山町)
久原本家「御料理茅乃舎」(福岡・久山町)
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屋根の上には何人もの職人の姿がある。彼らを率いるのは大分・日田市の茅葺き職人、三苫義久さん(88)。実は20年前、この屋根を仕上げたのも三苫さんなのだ。

「この家は西日本一の大きな家。茅葺きでは1つの棟でね。京都にもどこにもこんな大きなものはない」と三苫さんは話す。

屋根の広さは900㎡、横幅が37.5mもあり、西日本で最大クラスだ。それだけに使う「茅」の量も大量で、その重さはなんと80トンにものぼる。三苫さんは、職人人生の集大成として今回の葺き替えに臨んでいるのだ。

何重にも積み上げることで茅の厚みは、軒の方で75㎝、屋根の中央付近では90㎝にも達する。場所によって厚みが違うのは、月日が経って茅が痩せていっても、見た目が美しい状態を保てるよう計算しているためだが、そこには設計図などはない。

叩いて平らにしたりボリュームが足りないところに茅を加えたり、目で見て全体のバランスを見ながら屋根の形を整えていく。

親方を慕って集まった若者たち

20年以上前に取材をした三苫さんの姿が、テレビ西日本に残っている。このとき66歳だった三苫さんは、当時のインタビューで後継者不足を嘆いていた。

2003年撮影
2003年撮影

それが今回の作業には多くの若い職人の姿が見られた。茅葺きの魅力に魅せられた若手が少しずつ増えているのだ。弟子の1人は「親方が20年前に葺かれた屋根なので、現場に入れるのは嬉しい」と話す。これだけの規模の作業は滅多にないだけに次世代への技の伝承も今回の目的のひとつとなっている。

完成は間近、作業は佳境へと向かう。美しく、そして長い間、その状態を保つことができるように仕上げられていく。

日本から消えつつある茅葺き屋根

そして作業開始から4カ月余り。黄金色に輝く美しい茅葺きの屋根が出来上がった。圧倒的な存在感を放っている。

葺き替え作業が終了した「御料理茅乃舎」
葺き替え作業が終了した「御料理茅乃舎」

三苫さんにこの作業を依頼した久原本家の河邉哲司社長も「いや~、ほんとにね、涙が出るほど嬉しい。茅葺きという日本の伝統文化をもっと多くの人に身近に見て頂きたい。そして、感動して頂きたい。『やっぱすげえな』と。20年前の茅葺きよりも正直言って数段立派になりました」と手放しの喜びようだ。

三苫さんは、特に見てほしいところがあると話す。「こういうふうに、こう膨らんでるね。この曲線、アールのね、流れ」。窓を囲むせり出した屋根の部分、曲面状に仕上げたことで、見る場所によって違う雰囲気が楽しめるというのだ。

「十二単の着物を着た人が、裾を、こうピラッとやったような感じでね、見て下さる人が、気はつかなくてもそれを何か美しいねと思って下さっているのが、この屋根の特徴。この大きさでね、これはもう私のいままで葺いた屋根のなかで、恐らくまぁ完璧に近い。はっきり言えるのは25年経たんと分からん。即、分かるもんじゃない」

茅葺き屋根は世界中で最も原始的な屋根で、日本でも縄文時代からあるといわれている。それだけに環境に優しい。夏は涼しく冬は暖かい上に吸音性や通気性にも優れているのだ。その一方、20年ほどで葺き替えをしなければならず、また火災の危険があるため、現在では法律上、新築は難しく、既存の建物も維持管理が大変なことから姿を消しつつある。それにつれて茅葺き職人の数も減りつつあったが、今回の現場には全国から三苫さんを慕って若い職人も集まっていた。

職人たちの思いがこもった茅葺き屋根のレストラン。これからまた新しい歴史をゆっくりと刻んでいくことになる。

(テレビ西日本)

テレビ西日本
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