福岡市天神の街角で、昭和から平成の変わりゆく日々を見つめてきた「天神の母」と呼ばれる占い師がいた。天神中心部の大規模開発を機に立ち退きを求められ、7年前に姿を消したが、彼女の手相鑑定と歯に衣着せぬアドバイスは、「よく当たる!」と評判で、今も行方を知りたがるファンが多いという。今どこに…?

消えた「天神の母」今どこに…?

「天神の母」の愛称で呼ばれ、若い女性客を中心に“人生相談”にのっていたのは、占い師の野田エツコさん。

「天神の母」野田エツコさん(資料)
「天神の母」野田エツコさん(資料)
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野田さんは1973年から2018年までの46年間、天神交差点そばにあった旧福岡ビルの入り口で手相鑑定をしていたが、7年前、突如、天神から姿を消した。

「天神の母!当たると有名だった」「若い女性たちで、長蛇の列でしたよ。どこに行かれたのかな?」と口々に当時を思い出す人々。

市民は…
市民は…

夕方から深夜まで、毎晩のように手相と書かれた小さな行燈の前に座り、手相を観ながら悩める相談者に“適切な”アドバイスを与えていた。恋の悩みや仕事の悩みなど、「天神の母に救われた」と今も感謝している人は、数えきれない。

"天神ビッグバン"機に天神を去る

記者が訪れたのは、福岡市中央区の集合住宅の一室。奥の部屋に進むと、「天神の母」こと野田さんが座っていた。今は、室内で予約客を中心に占い師として、現役で活動しているという。

「天神から移動された理由は?」と尋ねると、「『福岡ビルが取り壊しになるので、出て行って下さい』と言われた」とのこと。「本当は、あの場所におりたかったけどね。もう、しょうがないと思った…」と話す野田さん。

“天神ビッグバン”と呼ばれる大規模な街の再開発工事で居場所を失い、7年前、慣れ親しんだ天神を離れたという。

野田さんの部屋には、今も「手相」と書かれたかつての「天神の母」の目印、行燈があった。雨の日も、雪の日も、台風の時でも私、あの場所に行ったのよ。だって、相談に来た若い子が待っとったから」と野田さんは、当時を思い返す。

「天神の母」目印の行燈は今も…
「天神の母」目印の行燈は今も…

占いの師は夫「希望を見せること」

29歳の時、客として手相を観てもらった占い師に誘われて、この道に入ったと話す野田さん。占い師としての師匠は、野田さんの夫だったという。

6年掛かりで“修行”した野田さんは、天神交差点の南東側にあった福岡ビルの軒下で、1973年に開業。

「『こっちの道もあるんだよと、新たな道を開いてあげるのが占い師だ』と主人から教わったと話す野田さん。

占いとは、「これが駄目だったら、次があるから頑張れ!希望をみせること」という夫の教えを守ってきた。そのお蔭か、野田さんは、若者に「天神の母」と慕われ、行列ができるまでの人気占い師になっていったのだ。

「午後5時半から深夜12時まで、最高120人くらいの相談を受けた」という野田さん。「よく当たる占い」に加え「ずけずけと言う」人生相談スタイルは、口コミで評判になっていった。「皆んなに悩みを吐き出してもらい、私がそれに答える。当時は、賑やかで楽しかった」と忙しかった天神の夜を昨日のことのように思い返す野田さん。

振り返ると、景気の良かったバブル時代、1990年頃までの天神は、アクセサリーなどを販売する露店がひしめいていて、「ネックレス販売の兄ちゃんが、いっぱい出とった」と野田さんは話す。

それが、長い不況のデフレ時代となり、やがては、100棟ものビルが建て替わる「天神ビッグバン」計画が浮上。そして、2018年。遂には、軒先を借りて活動していた福岡ビルの解体工事が始まり、野田さんは天神を去ることになった。

天神は「人がわちゃわちゃ楽しく」

野田さんが座っていたかつての“福ビル”は、2025年春から巨大な“ワンビル”として生まれ変わっている。久しぶりに懐かしい天神に足を運んだ野田さんは、あまりの変貌ぶりに驚きを隠せない様子。

かつての「福岡ビル」跡に立つ野田さん
かつての「福岡ビル」跡に立つ野田さん

「びっくりしました。こんなにきれいになるとは!私は、一生、天神で暮らしたような…。46年間、楽しい所だった。人間のいろんなドラマを見ることができた」。

人の世の機微を長年、見続けてきた野田さんに、『新しく生まれ変わった天神が、どんな街であって欲しいか?』尋ねてみた。すると、「昔みたいな天神。人が、わちゃわちゃしている楽しい天神。若い人から年寄りまで」と語り微笑んだ。

(テレビ西日本)

テレビ西日本
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