市街地のほぼ全域が焼失した富山大空襲。その激しさを物語る痕跡が、奇跡的に焼け残った富山電気ビルデイングから新たに見つかった。耐震改修工事中の建物内部から姿を現したのは、空襲の熱で大きく変形した鉄骨だった。

焼け野原の中で残った貴重な建物
富山大空襲では市街地の99.5パーセントが焼失したとされる。その焼け野原の中で数少ない生き残りとなったのが、富山電気ビルデイングである。1936年(昭和11年)に完成したこの建物は、モダンな建築様式が特徴で、現在は国の登録有形文化財に選ばれている。

現在、建物は耐震改修工事の最中だが、その作業中に戦後初めて明らかになった空襲の爪痕が報道陣に公開された。5階大ホールへとつながるロビーの天井部分では、空襲による火災の熱で大きく変形した鉄骨が露わになっていた。
工事で明らかになった戦争の傷跡

天井の部材を取り除く作業で現れた曲がった鉄骨は、80年近く前に起きた空襲の激しさを如実に物語っている。
建築士の濱田文仁さんは「天井に炭が残っていないということは、元の天井が焼け落ちて新しく作られた天井。むしろ補修された部分」と説明する。

鉄骨だけではない。壁や天井には空襲の火災で付いたすすの後や、コンクリートの壁に埋め込まれた木レンガが焼けた跡も残されていた。これらは全て、富山の街を襲った熱波の痕跡である。
復興の歴史も同時に発見

完成間もない頃の5階大ホールは、能の舞台や披露宴などで利用されていたことが当時の写真から分かっている。今回の解体工事では、戦後の復興の歴史も同時に明らかになった。
空襲で焼け落ちた本来の天井の裏には、GHQ(連合国軍総司令部)が施したとみられる緑色の化粧の補修跡が残されていた。敗戦後の富山の復興過程を示す貴重な証拠だ。
記憶を未来へつなぐ

今回見つかった戦災の爪痕は、改修工事で新しくできる壁や天井によって再び閉ざされることになる。しかし、富山電気ビルデイングでは、これらの痕跡を写真や文章などで記録し、後世へ残す取り組みを始めている。
富山電気ビルデイングの高井雅人管理部長は「(来年は)電気ビルの90周年、戦後80年で感慨深い。偶然じゃないことを感じた」と、時の重なりに思いを馳せる。
大ホールの改修工事は今年11月に完了し、12月1日にリニューアルオープンする予定だ。