太平洋戦争末期の1944年8月、疎開する国民学校の学童をはじめ1700人あまりを乗せ、沖縄から九州へ向かっていた「対馬丸(つしままる)」がアメリカ潜水艦の攻撃を受け撃沈。
わかっているだけでも1484人が犠牲となり、約7割が0歳から15歳の幼い命でした。

悲劇を伝えるため、設立されたのが「対馬丸記念館」です。
事件から80年目の節目となった2024年、平良次子(たいら・つぎこ)さんが館長に就任しました。
平良館長の母・啓子(けいこ)さん(享年88)は、9歳で対馬丸に乗り生き延びた体験を生涯語り続けました。
その姿を一番近くで見てきた平良館長は「犠牲になった子どもたちや、「箝口令(かんこうれい)」が出たことで、記録もなかなか残らない。思いも伝えられないということがあったと思う」と話します。

遺骨や遺品のほとんどが、海に沈んだまま、帰ってきていません。さらに、当時は「箝口令」が敷かれ、事件について話すことが禁じられた上に、十分な調査も行われませんでした。
このような背景から、対馬丸記念館は展示や証言資料の少なさ、運営の難しさを抱えています。
対馬丸記念館・平良次子館長:
みなさんの寄付や来場者の入館料、今は国や県の補助金でやっているが、自立するには程遠い感じがする。対馬丸事件をいろんな視点から見られるように、人権問題・社会情勢・船の関係の人たちとの連携だったりと、展開できるかなというのはある。

平良館長は体験者の証言を生かし、継承の輪を広げていきたいと、各地の資料館とのつながりにも力を注いでいます。
5日には、慰霊のために沖縄を訪問する天皇ご一家が対馬丸記念館にも足を運ばれます。
平良館長:
一緒に戦争を知らない者として学んでいこうという姿勢は、同じようなものがあるのかなと感じた。世代を超えて伝えようとしているお気持ちがあって、娘の愛子さまもいらっしゃるのかなと。

多大な犠牲の反面、その実相があまり知られていない、対馬丸事件。
天皇ご一家のご訪問が、暗い海に沈んだ船と子どもたちのことを全国に広く知ってもらう契機になればと、平良館長は考えています。
(「Live News days」6月4日放送より)