『公害の原点』とされる水俣病の公式確認から69年となった5月1日に、熊本・水俣市で犠牲者慰霊式が営まれた。

公式確認から69年 水俣病犠牲者慰霊式

日本の公害の原点とされ、69年前の5月1日に公式確認された水俣病。水俣の海を望む慰霊碑の前では、水俣市や患者団体などでつくる実行委員会主催の犠牲者慰霊式が営まれた。

この記事の画像(11枚)

式には、遺族をはじめ、国や熊本県、原因企業チッソの関係者など約660人が参列し、献花台に花を手向け犠牲者を悼んだ。

そして未認定患者を含む全ての犠牲者を追悼するため、2025年で初めて地元の中高生が手がけたイラスト付きのプレートが奉納された。

患者・遺族を代表して祈りの言葉を捧げた水俣市の漁師杉本実さん。祖父母、そして父と母が認定患者で、杉本さんは「家族が水俣病を発症してからの、いじめ、差別。石を投げつけられたり、漁に使う網を切り破られたりは、家族が語る話でしか、聞いていません。それでも人を憎まず、子どもの前ではつらい顔を見せない、洒落が好きな父ちゃん。いつも明るい母ちゃん」と、慰霊の碑を前に祈りの言葉を捧げた。

水俣市立の葛渡小学校6年の坂口悠介さんも「楽だから簡単だからと逃げてしまうことは人間だからある。間違えたと思ったら、きちんと謝り、その後の行動を変えていきたい。〈水俣病を教訓に〉と聞くが、どう教訓にするかをこれからも考えていきたい」と、まっすぐな言葉で犠牲者へ祈りを捧げた。

一方、浅尾慶一郎環境相は「水俣病の拡大を防げなかったことを改めて衷心よりおわび申し上げます」と述べ、木村知事は「水俣病確認当初に、環境や健康を最優先に考え、適切かつ迅速な対応ができなかったことは痛恨の極み。被害拡大を防ぐことができなかった熊本県の責任を重く受け止め、心からお詫び申し上げる」と述べた。

また、原因企業チッソの山田敬三社長は慰霊式後、報道陣の取材に対し「当社の責任である補償を確実にやっていくことを、自分自身に言い聞かせながら、祈りの言葉を述べさせていただいた」と話した。

行政とは別 乙女塚での慰霊祭

一方、慰霊式と同じ時刻、鹿児島と熊本県の県境近くにある水俣市の『乙女塚』では、第1次訴訟の原告でつくる『水俣病互助会』が独自に慰霊祭を営んだ。

『乙女塚』は水俣病の犠牲となった全ての生き物の御霊をまつる祈り場で、行政の慰霊式よりも早い、1981年から毎年慰霊祭を続けている。

胎児性患者の坂本しのぶさんなど、約60人が参列し、哀悼の祈りを捧げた。前日には浅尾環境相と面会し、直接思いを伝えたしのぶさん。

感想を問われると「大臣は代われるが、私たちは代われないから、いいなと思った。水俣病と付き合っていかないといけないから、悔しい」と切実な胸の内を語った。

また、水俣病被害者互助会の佐藤英樹会長は「毎年毎年大臣が代わっている。話を聞いたのはいいが、そのあとどうするのかが全然私たちに返ってこない。いつも通りの対応。人だから人間だからちゃんと考えて対応してほしい」と、国の対応に対していらだちを隠せない様子だった。

(テレビ熊本)

テレビ熊本
テレビ熊本

熊本の最新ニュース、身近な話題、災害や事故の速報などを発信します。