トランプ大統領の就任100日を振り返えると、「トランプはレーガンにはなれなかった!」という思いにとらわれる。

「ウクライナとロシアの戦争終わらせる」何度も明言するも…

CNNのウェブサイトに4月25日、こんな見出しの記事が掲載された。

「ファクトチェック:『冗談』ではない。トランプは大統領就任前、24時間以内にウクライナ戦争を終わらせると言ったことが53回ある」

CPACで「ロシアとウクライナの戦争をすぐに解決する」と発言(2023年3月4日)
CPACで「ロシアとウクライナの戦争をすぐに解決する」と発言(2023年3月4日)
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記事によると、始めは2023年3月4日。メリーランド州ナショナルハーバーでのCPAC(保守政治行動会議)でこう語っている。

「大統領執務室に到着する前に、ロシアとウクライナの間の悲惨な戦争を解決します。すぐに解決します。素早く。私は問題を解決し、迅速に解決します。1日以上かかりません。私は、彼ら一人一人に何を言うべきか正確に知っていますから」

2024年10月17日の夕食会
2024年10月17日の夕食会

最後は投票日前の2024年10月17日、ニューヨークでのアル・スミスのチャリティー・ディナーで次のようにスピーチをしている。

「今夜、ウクライナから非常に宗教的な人々が数多く私のところへ来て助けを求めました。ウクライナで多くの人が殺されているのを見るのはとても悲しいことです。ですから、私たちはそれを終わらせるつもりです。私たちが勝てば解決します。私は次の大統領になって、それをやり遂げます。そこ(ホワイトハウス)に着く前にも」

そして、トランプ氏はホワイトハウスの主になるのだが、24時間はおろか、100日経ってもウクライナの戦火は収まる気配も見えない。

バチカンで会談したトランプ大統領とゼレンスキー大統領(2025年4月26日)
バチカンで会談したトランプ大統領とゼレンスキー大統領(2025年4月26日)

トランプ氏が「24時間で終える」と言った時は、ウクライナ、ロシア側と裏交渉ができていて大統領就任と同時に和平の道が開けるのかと思わせたものだったが、その後のウクライナのゼレンスキー大統領やロシアのプーチン大統領との意見のすれ違いを見ると、トランプ大統領の発言は根拠のない希望観測のようなものだったように思える。

“プロの政策執行者”で組織されたレーガン陣営

そこで思い出したのが、44年前の大統領就任式のことだ。

サンルーフから乗り出して手を振るレーガン大統領夫妻(1981年1月20日)
サンルーフから乗り出して手を振るレーガン大統領夫妻(1981年1月20日)

1981年1月20日、私はロナルド・レーガン第40代大統領の就任式を、パレードが通るワシントンのペンシルベニア大通りで取材をしていた。「映画俳優出身の大統領に何ができることやら」と冷ややかにパレードを待っていた時、取材用の無線機が鳴った。

「イランの人質が解放されたぞ!」

1974年11月、イランの首都テヘランでアメリカ大使館にイスラム革命防衛隊率いる暴徒が乱入し、大使館員らを人質に取った事件が解決し、人質52人がすでに解放されたというのだ。

この知らせが公式に伝わったのはレーガン新大統領が就任の宣誓を行なった直後のことで、新大統領が祝宴の昼食の席で次のように発表した。

人質が解放されたことを明らかにしたレーガン大統領(1981年1月20日)
人質が解放されたことを明らかにしたレーガン大統領(1981年1月20日)

「約30分前、我々の囚われた者たちを乗せた飛行機がイラン領空を離れ、彼らは自由の身となりました」

こうして米国の最大の外交の危機を、レーガン大統領は就任30分後に解決してしまったのだ。当時、米国の家庭の多くで、庭木に黄色のテープを巻いて人質たちの解放を願っていただけに、このニュースはパレードに集まった50万人とも言われた観客の間であっという間に広まり、パレードを取り巻く空気が明るくなったことを忘れない。

後になって知ることになるのだが、実は人質解放は、カーター政権がアルジェリアを通じて行っていた交渉でほぼ決着していたといわれる。ただ、そのタイミングをイラン側が決めかねて、レーガン大統領就任式前日まで合意が遅れたと公式に表明されているが、その裏でレーガン陣営が引きのばしを計っていたという謀略説が今でも広く信じられている。

カーター大統領の国家安全保障会議でイラン問題を担当していたゲーリー・シック氏が、1991年4月15日、ニューヨーク・タイムズ紙に投稿した記事で暴露したもので、その詳細はこうだ。

カーター政権のイランとの交渉が進展していることを知った候補者時代のレーガン陣営は、イラン側と接触を試み、1980年7月にレーガン選対のウィリアム・ケーシー委員長(後のCIA長官)がスペインのマドリードでイランの代表と密かに会談し、人質が解放されてカーター大統領の選挙が有利にならないよう延期を依頼した。

接触はその後も続き、10月17日~19日にフランスのパリでケーシー氏とジョージ H.W ブッシュ副大統領候補も加わって(当人は否定している)協議が行われ、イランは大統領選挙までは人質を解放しない代わりにレーガン政権が樹立すれば、イランに対して武器供与を行うことで合意したという。

この暴露をめぐってはその後、米下院のタスクフォースが調査を行い、1993年に「疑惑を裏付けるに足る証拠は見当たらなかった」と結論づけたが、それでも「オクトーバーサプライズ(10月の陰謀)1980」として広く信じられている。

トランプ大統領とヘグセス国防長官
トランプ大統領とヘグセス国防長官

ことの良し悪しは別にして、この話はレーガン陣営が当選前から「影の政権」のようにプロの政策執行者で組織され、機能していたことを物語るものだろう。今のトランプ政権は、国防長官が軍事機密を民間のSNSで共有するなどアマチュア集団のようで、大統領の根拠のない楽観論に振り回されて、内外政策で「八方塞がり」の状態になっているのとは大違いだ。

レーガン就任100日の支持率は73%…トランプ氏は“戦後最低”

ちなみにレーガン大統領は発足直後の2月には、後に「レーガノミックス」と呼ばれる新経済政策を発表し、3月に大規模な規制緩和、4月には大幅減税を実施して国民の信頼を得て、就任100日にはギャラップ社の調査で73%の支持率を獲得した。

4月29日に2期目就任100日となり「歴史上最高のスタートだ」と自信を示したが…
4月29日に2期目就任100日となり「歴史上最高のスタートだ」と自信を示したが…

一方のトランプ大統領は、100日目の支持率が39%(ワシントンポスト紙・ABC放送共同世論調査)と戦後の米大統領として最低の支持率に喘いでいる。

トランプ大統領は、今回ホワイトハウスに入居するにあたって執務室を模様替えし、身近に掲げてあったアンドリュー・ジャクソン7代大統領の肖像画をレーガン大統領のそれに代えた。トランプ大統領のレーガン大統領に対する憧憬の念を現したものだという。確かに二人とも暗殺の危機にされされた経験を共有するが、トランプ氏はレーガンにはなれなかったようなのだ。
【執筆:ジャーナリスト 木村太郎】
【表紙デザイン:さいとうひさし】

木村太郎
木村太郎

理屈は後から考える。それは、やはり民主主義とは思惟の多様性だと思うからです。考え方はいっぱいあった方がいい。違う見方を提示する役割、それが僕がやってきたことで、まだまだ世の中には必要なことなんじゃないかとは思っています。
アメリカ合衆国カリフォルニア州バークレー出身。慶応義塾大学法学部卒業。
NHK記者を経験した後、フリージャーナリストに転身。フジテレビ系ニュース番組「ニュースJAPAN」や「FNNスーパーニュース」のコメンテーターを経て、現在は、フジテレビ系「Mr.サンデー」のコメンテーターを務める。