メモを書いた幹部の河本道夫(仮名)は兵庫の有名高校から東大に進学した秀才で、ヨガへの興味からオウムに入信。

教祖・麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚の側近のメモが見つかった
教祖・麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚の側近のメモが見つかった

麻原の3女の家庭教師をつとめたことで信頼され、若くして幹部に抜擢された。麻原一家の身の回りの世話から麻原の指示を受け実行に移す側近中の側近と言われた男である。

麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚を乗せて上九一色村の教団施設を出る車
麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚を乗せて上九一色村の教団施設を出る車

犯行当日3月30日夜、河本は上九一色村の第6サティアンで麻原夫妻に呼ばれ、オウムが迫害されていることを訴えるビラの作成を命じられた。その際、麻原の指示を河本がメモしたノートが見つかる。メモの解読は非常に難しく難航を極めたが、

「弾が何かおかしい
のしゅるい→発表」

(※取り消し線はメモのママ)

との記述が発見されるのである。

犯行に使用されたホローポイント弾 捜査資料より
犯行に使用されたホローポイント弾 捜査資料より

30日夜の時点で犯行に特殊なホローポイント弾が使われたことはまだ公表されていなかったことから、麻原や河本が既に特殊な弾丸が使われたという捜査情報を何らかのルートで知り得た可能性があった。実際にこのビラは、翌31日夕方にはJR八王子駅近くで信者によって配られている。

2004年7月、警視庁南千住署特別捜査本部は、これらの捜査結果から、元警視庁巡査長のX、矢野隆(仮名)、金子牧男(仮名)、河本道夫(仮名)が長官銃撃事件について何らかの事情を知っている可能性があり事件に関与しているものとみて、ついに逮捕状を請求するに至るのである。

【秘録】警察庁長官銃撃事件42に続く

【執筆:フジテレビ解説委員 上法玄】

1995年3月一連のオウム事件の渦中で起きた警察庁長官銃撃事件は、実行犯が分からないまま2010年に時効を迎えた。
警視庁はその際異例の記者会見を行い「犯行はオウム真理教の信者による組織的なテロリズムである」との所見を示し、これに対しオウムの後継団体は名誉毀損で訴訟を起こした。
東京地裁は警視庁の発表について「無罪推定の原則に反し、我が国の刑事司法制度の信頼を根底から揺るがす」として原告勝訴の判決を下した。
最終的に2014年最高裁で東京都から団体への100万円の支払いを命じる判決が確定している。

上法玄
上法玄

フジテレビ解説委員。
ワシントン特派員、警視庁キャップを歴任。警視庁、警察庁など警察を通算14年担当。その他、宮内庁、厚生労働省、政治部デスク、防衛省を担当し、皇室、新型インフルエンザ感染拡大や医療問題、東日本大震災、安全保障問題を取材。 2011年から2015年までワシントン特派員。米大統領選、議会、国務省、国防総省を取材。