東京都交響楽団の「ドラゴンクエスト」公演が東北で初めて開催された。震災復興支援から始まった11年の絆が、岩手・久慈市に世界的な演奏を届けた。音楽を超えた交流は演奏者と地域住民の心を一つにし、感動の渦を巻き起こした。

「ドラクエ」の音色が東北に響く

3月24日、久慈市で東京都交響楽団(都響)による「ドラゴンクエスト」コンサートが開催された。これは東北初の公演となった。

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東日本大震災後、音楽を通じて復興支援を続けてきた都響。被災地との深い絆が育む迫力ある演奏に、会場は熱気に包まれた。

都響は1965年に東京オリンピックの記念事業として設立された世界的に評価の高い楽団だ。東京オリンピック2020大会でも演奏が流れ、その実力は広く知られている。

音楽を通じた復興支援の軌跡

今回の公演の背景には、震災復興支援から始まった11年にわたる地域との深い絆があった。

都響は、「東日本大震災を乗り越え復興を目指す東北の方々を音楽で応援したい」と、2014年からこれまで、野田村や久慈市で演奏での支援活動を続けている。

当時、野田村の窓口だった未来づくり推進課の廣内鉄也さんは、その交流の始まりをこう振り返る。

野田村未来づくり推進課・廣内鉄也さん:
都響の事務局の方が最初は一人でいらしたのを、私ともう一人の職員とお出迎え対応して、3人で話をしたところから始まった。最初は復興支援を受ける側という関係性だったのが、ずっとお付き合いも続いて本当に人と人の交流が生まれてきて、その交流がたくさん線になって面になって、相互の交流がいろんな場面で散りばめられた10年間だったと思う。

この言葉からは、音楽を通じた支援が、時間とともに深い人間関係へと発展していった様子が伝わってくる。

「心はいつものだ村民」楽団員の思い

今では「ただいま」「おかえり」と言い合える間柄にまで発展した。音楽を超えた交流も深まり、野田村の人たちが東京での都響公演に足を運んだり、イベントを手伝ったりすることも珍しくない。

楽団員の中には「心はいつものだ村民」制度に登録し、"準村民"となる人もいる。第二ヴァイオリン副首席奏者の山本翔平さんもその一人だ。何度も岩手を訪れ、沿岸の土地と人々に魅せられたという。

山本さんは復興の様子を見守ってきた経験をこう語る。

第二ヴァイオリン副首席奏者・山本翔平さん:
本当に感慨深いというか、今はもう沿岸のところも大きい立派な防波堤ができていますけど、最初来た時はまだがれきもたくさんありましたし、トラックもすごく走っていたという印象があります。

第二ヴァイオリン副首席奏者・山本翔平さん:
今は綺麗に公園みたいになっている場所も家の跡があったままという状況だったので、そういうところから見ていると、今の復興している姿は、僕らは県内の人間ではないですけど、嬉しく思っています。

感動の渦に包まれた会場~未来へ希望

11年の交流が実を結び、ついに東北初となる「ドラゴンクエスト」公演が実現した。村の職員や地元有志がスタッフとして協力し、まさに地域を挙げての一大イベントとなった。

コンサート当日、会場は熱気に包まれた。ドラゴンクエストの世界に引き込まれた観客たちは、一流の演奏に聞き入った。

ある観客は感激の面持ちでこう語った。「もう最高ですね。感激で涙が出る思い。本当に素晴らしかった」

別の観客も興奮気味に感想を述べた。「オーケストラで全員集まって、それぞれの厚みが増すと全然迫力が違う。とにかく感動でしたね」

演奏者たちも、この特別な公演への思いを語った。

第一ヴァイオリン副首席奏者の吉岡麻貴子さんは「良いものを聴かせたいという気持ちが強くなっちゃって、とっても張り切っちゃいました」と笑顔で話す。

第一ヴァイオリン奏者の大和加奈さんは「やっとオーケストラでこちらに来ることができて、本当に感謝の気持ちでいっぱいです」と喜びを表現した。

ヴィオラ副首席奏者の村田恵子さんは観客との一体感を感じたという。「演奏が終わった後もずっととても温かい拍手をいただけて、演奏者とお客さんと一体になれたなという気持ちでとても嬉しかったです」

東京都交響楽団と野田村、久慈市との交流はこれからも心に響くメロディーとなって紡がれていく。

(岩手めんこいテレビ)

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