2011年3月11日、地震と津波が襲った被災地に静かな夜が訪れた。一時、466万世帯が停電したあの夜。空には息をのむ星空が広がっていた。震災から1年後に上映されたプラネタリウムのプログラム「星空とともに」は、あの日の夜空を再現し、被災者のエピソードを伝えるものだ。企画したのは、ベテラン職員の高橋博子さん。高橋さんは2025年3月、半世紀にわたって勤めた仙台市天文台を退職する。

「私は天文台と同い年」
高橋さんは1975年に仙台市天文台に就職し、約50年にわたって市民に星空の魅力を伝えてきた。仙台市天文台は1955年に開館。実は高橋さんと同い年だ。

高橋さんは「同じ昭和30年生まれなのがすごくうれしくて、『私は天文台と同い年』って、ずっとずっと心の中で思いながら仕事をしていました」とはにかみながら語る。
忘れられない3.11の星空
仙台市青葉区の西公園にあった仙台市天文台は、施設の老朽化と地下鉄東西線の建設に伴い、2008年に青葉区錦ヶ丘へ移転した。東日本大震災により臨時休館となったが、1カ月後に再開。そこで高橋さんはあることに気が付いた。

「あの日はどうして星空がきれいだったんですか?」来館者から繰り返し尋ねられ、自分自身も3.11の星空を鮮明に覚えていることを思い出した。天文台に就職するほど星が好きで、子供の頃から空を眺めていた高橋さんでも「こんな星空、見たことない」と思ったという。当時は星を見ている場合ではないという思いから、10秒ほどしか見上げていなかったが、「月も出ていたのに、まるでプラネタリウムみたいな星空で本当にびっくりした」と振り返る。
あの日の夜空をプログラムに
高橋さんたちは震災から1年を前に、天文台で何ができるかを何度も何度も話し合った。その中でできたのが「星空とともに」だ。あの日の夜、空を見上げた人のエピソードを集めて40分間のプログラムにした。

「あの日あの時、みんなはその星空をどんな気持ちで眺めていたのでしょうか」
高橋さんの語りかけで振り返る3月11日の夜。降っていた雪が止み、満天の星が広がった被災地で、それぞれどんなことを感じていたのか。

直接死だけで1万5千人以上が亡くなった大災害の1年後、記憶がまだ生々しく残る中で、高橋さん自身も「見せていいのか不安があった」という。だが、プログラムは反響を呼び、これまでに全国約300カ所で上映。「あの日のことを思い出してほしい。忘れないでほしい」。高橋さんたち仙台市天文台職員の思いは、プログラムを通じて日本中に届いた。
企画したプログラムは100以上
高橋さんがこれまでに企画したプログラムは100を超える。その中でも、被災地の天文台ができることを考え、悩みながら作り上げた「星空とともに」は、やはり特別なものだ。仙台市は2025年、70周年を迎えた。70歳となる高橋さんも2025年3月に退職することが決まっている。

退職後にやりたいこと
高橋さんが最後に手がけたのは70周年の特別プログラムだ。東日本大震災も含めて、これまでの天文台の歴史を振り返る。それは高橋さんの人生とも重なる。

「プラネタリウムが好きすぎて、一生懸命投影しようということしか考えていない」という高橋さん。退職後にしたいことは「全国のプラネタリウム巡り」だという。楽しいときも、悲しいときも、いつもそばで輝いていた星空とともに、これからも生きていく。