約1万人のランナーが本島中部の道を駆け抜ける「第30回おきなわマラソン」が、2025年2月16日に開催される。起伏が激しく全国でも屈指の厳しいコースとして知られていて、1993年にはじまり、2024年にはコロナ禍を乗り越えて4年ぶりに開催された。2025年の節目となる30回ではどんなドラマが生まれるのか、これまでの歴史を振り返る

「中部は一つ」を合言葉にスタート

「おきなわマラソン」は沖縄県総合運動公園をスタートし、中部路を駆け巡る42.195キロのコースとなっている。

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ランナーを待ち受けるのは、70メートルの高低差を超える坂など、激しいアップダウンだ。

全国でも屈指の厳しいコースだが、沿道の声援は途切れることなく、ランナーの走りを支え、多くの感動と笑顔を生み出してきた。

記念すべき第1回大会は、1993年3月に開催され、「中部は一つ」を合言葉に5,993人が出場した。

出場者:
完走を目指して頑張ります! エイエイオー!

第1回大会は小雨が降るなか、福岡県から参加した柳善隆が2時間25分35秒で優勝を果たした。

その後、「おきなわマラソン」は回を重ねるごとに、市民マラソンとして定着した。

また、沖縄県内の長距離界をけん引する選手たちがしのぎを削る大会へと成長していった。

2011年の第19回大会では、順天堂大学4年生でマラソン初挑戦だった仲間孝大が優勝。
仲間は2012年の第20回大会でも連覇を果たし、これまでに3度、「おきなわマラソン」を制している。

また、女子の部では、2011年の第19回大会に安里真梨子が前人未踏の4連覇を成し遂げた。

安里真梨子:
陸上から離れていた期間もあって、このスタートラインに立てただけでもうれしいです

次世代を担う選手たちも出場

2020年の第28回大会では、陸上界の次世代を担う選手たちが10キロロードレースに出場。
1・2フィニッシュを決めたのは、当時北山高校1年生だった上原琉翔(りゅうと)と嘉数純平。

2人は2025年の箱根駅伝にも強豪・「國學院大学」の主力として出場し、今後さらなる活躍が期待されている。

歴史を積み重ねてきた大会では、市民ランナーたちにも数々のドラマがあった。

制限時間に間に合わなかった男性ランナーは「努力が足りなかったです」と落胆の色を隠せない様子で語った。

こちらの男性は来年も参加するかとの問いに「もうやめる。本当に完走できなかったら、やめると決めてました」と悔しそうに語った。

一方で、制限時間ぎりぎりでゴールした男性は、「妻が一緒に走っていたんですけど、先にゴールしていて。一緒にゴールしようと言われていたので、頑張りました。本当は参加したくなかったんですけど、走れてよかったです」と笑顔で振り返った。

30回の節目を迎える今年、どんなドラマが生まれるのか。 

出場するランナーたちは、それぞれの思いを抱きながらスタートラインに立つ。

(沖縄テレビ)

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