2024年夏。約20万本のヒマワリが5年ぶりに咲き誇った。かつて父親が始めたヒマワリ畑を復活させた23歳の息子。満開のヒマワリから抽出したオイルの商品化で継続的な地域の賑わいづくりを目指す。
かつては地元の夏の風物詩
福岡県のほぼ中央に位置する嘉麻市。長閑な山間の地域で農業を営むのは、松岡匠さん(23)。父親の直幹さんの跡を継いだのは1年前。約30ヘクタールの畑を耕し、夏には米や大豆などを生産している。

匠さんが、直幹さんから引き継ごうと決めたことの1つにヒマワリ畑の復活がある。夏になると広さ2ヘクタールの土地に20万本のヒマワリが咲き誇り、遠方からも多くの家族連れが見物に来ていた賑わいをもう一度、蘇らせたいと思ったのだ。

段々畑に広がるヒマワリ畑。ヒマワリの栽培は元々、自動車の整備士として働いていた直幹さんがヒマワリの種から環境負荷が少ない燃料を作りたいという思いで、2007年から1人で開墾を始めた。
匠さんも幼い頃から直幹さんと一緒にヒマワリ栽培の作業を手伝っていたという。「1週間かけてヒマワリの種を全部手で蒔いて…」と大変な作業だった子供時代を振り返る。

2万4000本だったヒマワリも年々その数を増やし、遂には20万本もの花が毎年、夏の畑を覆うようになった。

直幹さんが育てるヒマワリの花は、いつしか地元の夏の風物詩となり、地域の人々を喜ばせたが、直幹さんが体調を崩し、ヒマワリの栽培は、5年ほど前から途絶えしまったのだ。周囲からは、ヒマワリ畑の再会を望む声がずっとあったが、手入れができず、土地は年々荒地となっていった。

半年掛かりでヒマワリ畑を復活
高校卒業と同時に運送会社に勤めていた匠さん。2024年1月、農業をやろうと決心。運送会社を辞め、同時に「子供の頃から見てきたヒマワリも復活させたい」と決意したという。

しかし、かつてのヒマワリ畑に足を運ぶと、竹が大きく生い茂り、切り開くだけでも一苦労。匠さんは、雑草で荒れ放題の土地を地道に草刈りから始め、徐々に整地していったという。友人の手助けもあり、なんとか半年掛かりでヒマワリ畑を復活させたのだ。

2ヘクタールに広がる20万本のヒマワリ。口コミで大勢の人がヒマワリの美しさに引き寄せられ、5年ぶりの姿に地域の人達も「懐かしい」と足を運んだ。

直幹さんも「嬉しそうだった」と匠さんも笑顔で話す。そして匠さんは、この賑わいを今後も続けていけるようにと新たな挑戦も始めたのだ。
ヒマワリ油を地域の名産品に
それが、ヒマワリの種から搾り出したヒマワリ油。匠さんが見せてくれた瓶には、黄金色の油が美しく輝いている。

ヒマワリ油は、オレイン酸やビタミンEを多く含んでいるため、食用だけでなく美容にも使われる。2024年8月末に約550キロのヒマワリの種を採取。乾燥させ、搾油機で絞ったヒマワリ油を商品化し、2024年12月から販売を開始した。

ヒマワリ油は、「サンフラワーオイル」とも呼ばれ、風味が少なく、原料を感じさせる味や香りがほとんどないのが特徴。そのため“料理の味を邪魔しない”ので、様々な料理に使いやすい油なのだ。ヒマワリ油は加熱しても酸化しにくく、特に揚げ物は、食材の風味を活かしてカラッと軽い揚げ上がりになる。

1年目、約400本のヒマワリ油を製造した匠さん。見るだけでなく食べて楽しんでもらうことで、その売上げをヒマワリの栽培費用に充てられたらと商品化を目指す。「少しずつでもいいので熊ヶ畑の名産品になればいい。地域の活性化にも繋がるし、もっといろいろな人にヒマワリを知ってもらえたら嬉しいです」と匠さんは笑った。
(テレビ西日本)