栢木が戻る先の公安一課が主体となって、刑事部捜査一課と合同でこの事件を捜査することになっていたが、栢木は来週から始まる警視庁での勤務の準備のために早く家に帰ることを考えていた。
その後の自身の運命が間もなく決まるとは露ほども思っていなかったのである。
週が明けた月曜日の4月2日、久しぶりに正面玄関から警視庁に入った栢木は新鮮な気分だった。
主に極左暴力集団などの活動実態の監視と取り締まりにあたる公安一課には、警部係長が15名弱いる。自分はどの係を担当することになるだろうかとばかり考えていた。

庁舎内の売店に入ると、「よう」と後ろから見知った公安一課の係長が呼び止めてきた。「栢木、お前は南千住の特捜本部に行くらしいぞ」と言うではないか。
「嘘だろ?」と言って固まった栢木の顔を尻目に、ニヤケ顔の同僚は去って行った。
いきなり長官銃撃事件のような重要事件の特捜本部に叩きこまれるのか?そんな訳はない。人の人事だからって適当なことをぬかしやがって。
怒りがこみあげてくるのを抑えながら、午前9時に警視庁14階にある公安第一課を訪ねた。すぐに課長室にて岩田課長に着任の申告を行った。
申告とは「警視庁警部、栢木國廣は公安第一課係長を命ぜられました」と課長に挨拶することである。
岩田は父親も警視庁の名鑑識課長と謳われた刑事だ。親子2代にわたる警視庁エリートである。珍しく酒をやらず温厚で愚直な人格者だった。
長官銃撃事件捜査へ
栢木の申告を受けると岩田は、「栢木くん、君は調査第五担当でやってもらう。長官事件は発生初日から調査第六担当がやっているが、調査第五担当にも今日から入ってもらうことになった。着任後さっそくだが、君に今日から行ってもらう。後は岡田管理官の指示を受けるように」とそれだけ言った。
栢木は5分前に同僚に言われた人事のその通りを課長に言い渡され、茫然自失で部屋を出た。
「調五」(ちょうご)。
新しい部署に着任してすぐ大事件の特別捜査本部詰めだ。大変な任務になる、という思いしかなかった。

「調査第五担当」、通称「ちょうご」と呼ばれている。デスクは新宿警察署の12階にある。管理官1名、係長2名以下課員40名の部署である。
通常であれば中核派の非公然アジトなどの発見や、当時、長期未解決事件となっていた渋谷暴動事件の逃亡犯、大坂正明や東アジア半日武装戦線の桐島聡の家族などと定期的に接触し、連絡がなかったかなどをフォローアップすることを担当としていた。
長官が撃たれたという未曽有の大事件発生により、着任初日から栢木以下20名が特捜本部のある南千住署に派遣されることになった。

すぐに「調五」の指揮官、岡田管理官の車で桜田門を出発し南千住署に向かう。緊張から車内では終始無言だった。
南千住署に着くと、5階講堂に設置された特別捜査本部に直行。特捜本部は人でごったがえしていたが、オールバックの紳士が寄ってきた。