ノーベル平和賞の授賞式が日本時間の10日午後9時からノルウェーの首都オスロで行われ、日本被団協が受賞した。授賞式後、長崎の被爆者である田中重光さんは「責任が重くなったと感じる」と話し、夜にはオスロの街に核兵器廃絶を願う火が灯った。
核兵器をなくしていくためにどうしたらいいか
授賞式が行われたオスロ市庁舎には、ノーベル平和賞を受賞する日本被団協の一行30人のほか、高校生平和大使やノルウェーからも王室や政府の要人が参列した。
この記事の画像(14枚)授賞式では代表委員の田中熙巳さんなど3人が壇上に立ち、田中重光さんがメダルを、箕牧智之さんが賞状を受け取った。そして田中熙巳さんが約20分間のスピーチを行った。
日本被団協 田中熙巳代表委員:
私は長崎原爆の被爆者の一人であります。想像してみてください。直ちに発射できる核弾頭が4000発もあるということを。核兵器をなくしていくためにどうしたらいいか、世界中のみなさんで共に話し合い求めていただきたいと思うのです。
ノーベル委員会のフリードネス委員長はスピーチで「身体的な苦痛や辛い記憶にも関わらず、平和への希望に尽力することを選んだ、すべての被爆者を称えたい。私たちは被団協から学ぶべきであり、決して諦めてはならない」と呼びかけた。
式を終え田中重光さんは、山口仙二さんや谷口稜曄さんなど被爆者運動をけん引してきた被爆者の先人たちを思い浮かべながら「やはり責任が重くなった感じがする。若い人たちに、この私たちの運動をバトンタッチしてもらう活動をしたい」と語った。
晩さん会のテーブルには折り鶴が
授賞式のあと、現地では晩さん会が開かれ、田中熙巳さんや田中重光さんもタキシード姿で登場した。
それぞれのテーブルには、平和の象徴で日本被団協のシンボルでもある折り鶴が飾られた。
晩さん会には約250人が招かれていて、被爆者たちは各国の出席者などからお祝いの言葉をかけられ、受賞の喜びを分かち合った。
核兵器廃絶を願う火が灯る
授賞式の夜には平和賞の受賞を祝う恒例のトーチパレードが行われ、氷点下6度のオスロに核兵器廃絶を願う火が灯った。
パレードにはオスロ市民も参加し「ノーモア・ヒロシマ ノーモア・ナガサキ」と声を出しながら、授賞式が開かれた市庁舎の近くから晩さん会の会場のグランドホテルまでたいまつを手に約800mを歩いた。
ゴールとなったホテルのバルコニーから代表委員3人が現れると、パレードの参加者からは歓声が上がった。
「やっとここまで来ましたよ」長崎では
長崎市役所では授賞式のパブリックビューイングが行われ、被爆者や市民など約160人が集まった。午後9時半ごろ被団協の代表委員3人にメダルなどが授与されると、会場からは大きな拍手が送られた。
長崎被災協 長野靖男さん(81)は「うれし涙が流れた。日本の被爆者の闘いや運動をやっと世界が認めてくれた。先人の渡辺千恵子さんや山口仙二さんも谷口稜曄さんも喜んどると思う」と話した。
被爆者の城臺美彌子さん(85)は「次々に亡くなっていったその方々が浮かんでき、“お疲れ様、やっとここまで来ましたよ。でも、これからまた”と言いたい。絶対に核兵器を使わせないようにしたいです」と気持ちを新たにしていた。
被爆二世の佐藤直子さんは被爆者の父・池田早苗さんの遺影を携えて会場を訪れ「父が生きているうちに取ってほしかったというのが本当の気持ち。ずっと続けて活動してきたことが世界で認められたということは天国ですごく喜んでいると思う」と父に想いを馳せた。
授賞式でメダルを受け取った田中重光さんの孫の梨音さん(13)も祖父の晴れ舞台を見守り「まずおめでとうと言いたい。被爆者が少なくなってきているから、被爆体験をおじいちゃんから聞いて同級生に伝えたい」と話した。
現地時間の11日には被爆者が高校や大学などで被爆証言を行い、被爆の実相や核兵器絶の思いを若い世代に伝えることになっている。
(テレビ長崎)