11月15日、101歳で亡くなられた三笠宮妃百合子さま。明治以降の皇族で101歳を越えるのは初めてで、最高齢となられていました。
百合子さまは2023年6月、100歳になられた感想を文書で次のように寄せられています。
この記事の画像(19枚)「18歳で宮家に上がってから既に80年以上という長い歳月が過ぎ、この度100歳の節目を迎えることができました」「私が子育てをしておりました時期は、日本社会全体がまだまだ大変な時期でございましたから、いつも宮様お始め多くの方々が私を支えてくださいましたことを、深い感謝の念を抱きつつ思い起こしております。現在は、孫や曾孫の成長をとても楽しみとしております。これからも人々の幸せを祈念しつつ、日々を過ごしてまいりたいと存じます」
皇室に嫁がれて80年という長き時間の中で、夫の三笠宮さまを支え続け、5人のお子様に愛情をかけ育てられています。さらに皇族として、戦前戦後を通して人びとのため公務にも臨まれてきました。家族も含め、いつも周りの方々の幸せを祈ってこられた方でした。
三笠宮さまとの結婚、戦争と住まいの焼失
三笠宮妃百合子さまは、元華族、高木正得(まさなり)氏の次女として1923年6月4日誕生されました。女子学習院本科を卒業した1941年の10月22日、昭和天皇の弟、三笠宮崇仁(たかひと|)さまと結婚をされました。皇室にとり、11年ぶりのご慶事でした。
結婚当時の雑誌によれば百合子さまは、書道、和歌、ピアノ、英語が得意で、婚約内定後は、茶道、生け花日本画、さらには中国語まで学び始められたということでした。
三笠宮さまが、陸軍の参謀として中国に派遣されたこともあり、その助けにとお考えになられたのではないでしょうか。
ご結婚後、戦火も激しくなり、今の港区元赤坂にあった宮邸が焼失し、皇族という立場でありながら防空壕を三笠宮邸とするなど、経済的にもつらい時代を過ごされています。
苦難の中で社会福祉活動も
そんな中でも、百合子さまは傷ついた軍人をお見舞いするなど社会福祉活動にも尽力されてきました。恵まれた環境ではありませんでしたが、皇族として国民のために、そして皇室のために活動を、そして私生活を送られたのです。
戦中から戦後にかけ、ご夫妻は長男・寬仁(ともひと)さまをはじめ3男2女に恵まれます。
戦後となり、生活は一変していきます。ご家族を大切にし、戦後の混乱期が終わるとご家族で旅行に出かけるなど健やかな時代を迎えられました。
そして、長女の甯子(やすこ)さんのご結婚をはじめとして、お子様方はそれぞれ独立されていきます。
次男の宜仁(よしひと)さまが独身のまま「桂宮」を創設された際に開かれた祝宴には、当時、皇太子ご夫妻でいらした上皇ご夫妻を招かれています。その席で百合子さまは、風邪のため欠席した三笠宮さまのお礼の言葉を代読されました。
「このたび、天皇陛下の思し召しで、宜仁に桂宮の宮号を賜り独立いたしましたこと心から感謝いたしております。今後色々な面でお世話になると思いますが、よろしくお引き立てのほどお願い申し上げます」と述べ、桂宮さまの独立を心から喜んでいらっしゃいました。
お子様方も宮邸を飛び立ち、穏やかなご夫婦の時間が訪れると思われたのではないでしょうか。
しかし、その矢先に桂宮さまが自宅で倒れているのが見つかりました。急性硬膜下血腫でした。
3人の息子が次々に
桂宮さまの容体も安定し、少しずつ公務に復帰するようになった2002年、さらに不幸が襲います。三男、高円宮さまが心房細動のため47歳で急逝されたのです。百合子さま79歳の時でした。
高円宮妃久子さまや成人前の3人のお子さまはもちろん、三笠宮ご一家の方々は、あまりにも急な不幸に悲しみにくれました。
それから10年、2012年。今度は、長男、寬仁さまが66歳で亡くなられます。寛仁さまは、1991年にがんが見つかり、手術を受けましたが、再発と手術を繰り返していました。
さらに、2014年には長く療養生活を送られていた次男の桂宮さまも66歳でご逝去。男性のお子様を次々に失われたのです。
皇族として精力的に公務を
ご結婚後は、ご公務にも精力的に取り組まれた百合子さま。ほかの妃殿下方とご一緒することも多かったようです。1941年の戦時中は、傷痍軍人の病院を、秩父宮妃勢津子さま、高松宮妃喜久子さまと共に訪れ、患者を見舞われました。
戦後も、1967年にはハンセン病の救済事業を行っていた協会の創立15周年の記念式典に香淳皇后とともに3方の妃殿下で出席されています。
また、氷上・フォークダンス・カーニバル大会では、当時浩宮さまだった天皇陛下と共に、サウンド・オブ・ミュージックのトラップ大佐を演じる三笠宮さまの華麗な滑りをご覧になるなど、三笠宮さまのご活動を支えられていました。
母子愛育会には1948年から2010年までの62年もの間、総裁を務められています。
2010年4月20日、86歳の百合子さまは母子愛育会の式典の中でこうお言葉を述べられています。
「愛育班員全国大会に全国から参加されたみなさんにお会いできたことをうれしく思います」
式典でのおことばは、これが最後となりました。
病との戦い
お忙しく過ごされる中、百合子さまも体調を崩されることも。
1992年には、胆石摘出のため13日間ご入院。1999年には、胸の圧迫感やめまいといった症状があったため検査を受けたところ、狭心症と徐脈性不整脈と診断され、心臓ペースメーカーを埋め込む手術と冠動脈を拡張する処置を受けられています。2007年には大腸がんが見つかり手術を受けましたが、転移はなく、同じ年に、公務に復帰されています。
夫・三笠宮さまと共に
ご自身も公務をこなす一方で、百合子さまは三笠宮さまの傍らに常に寄り添われていました。
これまでも三笠宮さまが研究を進めるトルコを訪問すれば同行し、ダンス大会に出席すれば一緒に踊り、そのご活動を支え続けてこられたのです。
2011年、三笠宮ご夫妻は、結婚70年を迎えられます。そこで公表された三笠宮さまのご感想には、百合子さまへの感謝の言葉であふれていました。
「顧みれば、70年間、陰になり日なたになり私を助けてくれたのは、何といっても妻百合子であった。結婚のとき、私は陸軍大学校の学生だったので、宿題のためにしばしば徹夜したし,間もなく戦争となり、厳しい生活が始まった」
「妻は華族の出身であるが、皇族の生活は一段と厳しく、忙しいから、留守を守っていた妻の労苦は並々ならぬものであったに違いない」「三笠宮家は新しく創設されたために経済的な基盤がなかったばかりでなく、空襲で邸(やしき)が全焼したため、経済的な労苦はほかの宮家と比べてはるかに大きかった。それを支えてくれたのも妻であった。やがて私は東大文学部で勉強することになったが、いろいろな公務もあり、授業に出られないときには友人のノートを借りてきて、夜のうちに妻に写してもらった。それは教室で筆記するより大変だったろう。その後、半世紀、私は諸大学の講師を務めながらほかの公務にも出席していたので、妻は親王妃としての公務を果たしながら、5人の子供の世話や教育を一手に引き受けてくれ、しかもそれを見事に果たしてくれたのである。今静かに過去の70年を振り返ってみるとき、百合子に対して感謝の言葉も見付からないほどである」
2012年6月、三笠宮さまの健康に重大な問題が見つかります。体調を崩し入院し検査したところ、心臓の僧帽弁がきっちりと閉まらず血が逆流するうっ血性の心不全と診断されたのです。治療のため、心臓の弁を交換する手術の必要が出てきました。96歳の三笠宮さまにはとっては体に大きな負担がかかる心臓手術です。このため、医師団が手術をするかどうかを含めご家族に相談します。
すると百合子さまは、手術を強く希望されたということです。三笠宮さまが健康になり、一日でも長く一緒の生活を望まれたのでした。こうして7月、手術が行われることになり、百合子さまも病院に付き添われました。手術は無事に成功。
百合子さまの願いも叶い、三笠宮さまは元気な姿を見せられるようになりました。百合子さま89歳の時のことでした。
三笠宮さまとの別れ
そんな、大切な存在であった、三笠宮さまは2016年10月27日、100歳で最愛の百合子さまに看取られ逝去されました。75回目の結婚記念の日から五日後のことでした。三笠宮さまのご葬儀では車いすから立ち上がられ、最後のお別れをされました。
2023年の新年一般参賀に車椅子で姿を見せ、穏やかな表情で手を振られていた百合子さま。この年の6月4日、百寿100歳の誕生日を迎えられたのです。このときご感想が公表されています。
「18歳で宮家に上がってから既に80年以上という長い歳月が過ぎ、この度100歳の節目を迎えることができました」「結婚後は、私自身の皇族としての公務を果たしながら、宮様をお支え申し上げる日々を送っておりました。こうした中でも家族の思い出となる記録を残したいと思い、家族一人一人の歩みが分かるように写真アルバムを作成したり、5人の子供たちの育児日誌をつけたりと、時間に追われながらも充実した毎日を過ごしておりました。
私が子育てをしておりました時期は、日本社会全体がまだまだ大変な時期でございましたから、いつも宮様お始め多くの方々が私を支えてくださいましたことを、深い感謝の念を抱きつつ思い起こしております」
三笠宮さまを偲びつつ、お子さんやお孫さまに、三笠宮さまのご事績や人柄を伝えていこうとする日々を送れていたということです。亡くなられて7年経っても、三笠宮さまへの思いを強く持ち続けられていたのです。
2024年3月、百合子さまは脳梗塞の症状の疑いや誤嚥性肺炎と診断されご入院。その後も、心不全の症状や新たな脳梗塞の症状も認められていました。
6月4日に101歳の誕生日を迎えられましたが、お祝いを持った孫の彬子さまや高円宮妃久子さまが病院に姿を見せられました。病室でも、百合子さまを囲んでお祝いをされたそうです。
さらに、次男の桂宮さまが亡くなられて10年となる6月8日を無事迎えられていました。
10月には、83回目の結婚記念日、8年目となる三笠宮さまの命日も病院で過ごされました。
そして11月15日午前6時32分、百合子さまは、75年間連れ添った三笠宮さま、そして3人のお子様のもとへと旅立たれました。