愛媛・松山市で22年間、「かあちゃんラーメン」の愛称で親しまれてきた「しじみラーメン」が、思わぬ形で第二の人生を歩み始めた。閉店の危機を乗り越え、若き継承者とともに東京進出を目指す、その舞台裏に迫った。
22年の歴史に幕を下ろした「父ちゃん」「母ちゃん」
殻付きのしじみが入った透き通ったスープ。

肝臓に優しいとされるこのラーメンは長年、松山の夜の街で「シメのいっぱい」として愛されてきた。
常連客の女性は「罪悪感がないんですよね。全然脂も浮いてない。むしろ健康にいいって感じで」と笑顔で語る。

この店を切り盛りしてきたのが、お客さんから「父ちゃん」「母ちゃん」と呼ばれ親しまれてきた外田さん夫妻だ。しかし、店を切り盛りしてきた外田さん夫妻の体調悪化により、2024年7月、惜しまれながら閉店の日を迎えた。

元店主の外田博三さんは「母ちゃん心臓が悪いし、足が悪いし、耳も聞こえんし。わしも脳梗塞で体の左側がいうこときかんのよ」と店を閉める理由を語った。

元店主の外田きみ子さんは「22年間悔いなく全うできたかな」と、静かに振り返る。
28歳のWeb制作者が描く新たな夢
閉店から2カ月後、突如として店に明かりがともった。厨房に立っていたのは、父ちゃん・母ちゃんではなく、28歳の若者だった。東京でWeb制作の仕事をしていた熊崎雅崇さんが偶然この店を訪れたのは、閉店直前のことだった。

「22年間の歴史がある店が無くなっちゃうのはもったいない。何とかしたい」というその思いが、彼を大きな決断へと導いた。
熊崎さんは「ひょんなことから愛媛にお仕事で行くことになってこの店に来まして、本当にこのラーメンがおいしくて、二日酔いにもならなくて。そしたら翌週に閉店するということを聞いて」と店を訪れた時の話をしてくれた。
彼は外田さん夫妻に、この味を引き継ぎ東京で店を出す計画を持ちかけた。

外田博三さんは「うれしいわいな。割とまじめそうな、やりそうな子が来たなと思った。熊崎さんだったらひょっとしたら教えられるかもしれないなと思った」と期待を込める。
継承の日々、そして東京へ
外田さん夫妻の指導の下、熊崎さんの修行が始まった。営業前後の父ちゃん・母ちゃんの送り迎えも熊崎さんの仕事だ。

車内では外田さんから「ラーメン作りよる間も手が遊んどるのお。仕事が進んでいるようやけど、実際は進んでない」と指摘があった。ラーメンづくりは手際が肝心。移動中の車内でもラーメン作りのアドバイスが行われる。

店に着くと熊崎さんが事前に仕込んだスープを外田さんがチェック。外田博三さんは「だいたいできとるよ。まだ時間は掛かるけどな」と評価した。
準備は順調に進んでいるようだが、ここまでにはかなりの苦労もあったそうだ。

熊崎さんは「お父ちゃんお母ちゃんの目分量、さじ加減。ひと握りみたいな教えは、『ひと握りってなんぞや』みたいな」と、苦笑いを浮かべる。

そしてラーメンに欠かせない「しじみ」は島根県の宍道湖でとれたしじみを冷凍で寝かせ、水に浸して貝の口が開いてから火にかけるのが味の秘訣(ひけつ)だ。
愛されたこの味を再び東京で…
熊崎さんが店に立つようになって約1週間、その努力は実を結びつつある。
9月6日から2週間限定で、元の松山の店舗で「しじみラーメン」を再開。父ちゃんに指摘された手際に注意しながらラーメンを作っていく。

お客さんからは「おいしいです。いいと思います。しみますもん」と好評の声が上がる。
一方で熊崎さんに「もうちょっと濃い味付けがええかな。8時からってなったらお酒飲む人が多いから。ただ、しじみのうまみはそのままに」とアドバイスを送る人も。

閉店でいったんは途切れかけたこの味を再び東京で広めたい。熊崎さんは 父ちゃん・母ちゃんの思いも背に、「引き継いだものを東京ならびに日本全国、世界に持っていきたい。お父ちゃん・お母ちゃんに希望というか夢を見せ続けられることが受け継いだ側の使命なのかなと思います」と意気込む。

その背中を、外田さん夫妻が優しく押す。
博三さんは「一生懸命だしとって、あくとって、加減しながら作るやろ?その途中で『おいしくなれよ』みたいな感じで気持ち入れて仕上げたら相手にも返ってくるけん、それが大事やな」と助言し、きみ子さんは「がんばれやな。がんばれ。あなたにラーメンの将来がかかってる、がんばれ」と励ました。
多くの人に親しまれたしじみラーメンは、11月に東京で新たなスタートを迎える。
(テレビ愛媛)