原爆投下80年に向け、被爆証言の継承は新たな局面を迎えている。アメリカの大学生が“原爆市長”と呼ばれた元広島市長・浜井信三さんのメッセージを英訳。日本語を学ぶ中で平和の輪を広げる新たな挑戦が始まった。
きっかけは小倉桂子さんの被爆証言
8月4日、アメリカ北西部にあるアイダホ大学の学生3人が広島空港にやってきた。「ここに来られてとても興奮しているよ」と話す学生。3人とも初めての広島訪問である。
彼らを率いるアイダホ大学の日本語講師・東條梓さんには、忘れられない大切な人がいる。小倉桂子さん、英語で証言できる数少ない被爆者だ。
東京出身の東條さんは、7年前にニューヨークで聞いた小倉さんの証言がずっと忘れられなかった。「全然知らなかったなぁと衝撃を受けました。そして日本人として知らなかったことを後悔しました。同時に、海外に住んでいるからこそできることがあるんじゃないかと思いました」と当時の心境を語る。
そして2022年、東條さんは自分の職場であるアイダホ大学でも被爆の実相を伝えようと小倉さんに被爆証言を依頼した。その時、小倉さんの年齢は85歳。高齢をおしての渡米だった。
小倉さんは、東條さんが教える日本語クラスの学生や町の小学校の子どもたちに自らの被爆体験を話した。
証言は大学の講堂でも行われた。原爆がもたらした地獄絵をスクリーンに映し出し、小倉さんは英語で語りかける。
「大勢の人々がやってきたが、皮膚はひどく焼けただれ、まるで幽霊やゾンビのようだった」
アメリカでは、原爆によって戦争が終わり、多くの命が救われたと教えられてきた。小倉さんの証言で初めて知る真実。聴衆の表情がだんだん変わっていく。地獄絵を見つめ、小倉さんの話に聞き入った。
「次の世代の子どもたちを核戦争に巻き込みたくない。共に取り組みましょう」
小倉さんの訴えは確実に共感を呼び、広がっていった。
大学の日本語クラスで平和教育
小倉さんに影響を受けた東條さんはこう話す。
「日本語教育の中での平和教育について、何ができるかを考えるきっかけになりました。根本にあるのは、ほかの違うものを受け入れて理解していくことですよね。それは語学教育を通じて深められるのではないかと思うんです」
そして、日本語の授業で広島の被爆証言の翻訳を始めた。語学を学ぶ中での平和教育はあまり例のない取り組みである。
2024年度に取り組んだ題材は“原爆市長”と呼ばれた元広島市長の浜井信三さんの活動。浜井さんが広島市の職員だったときの被爆証言が音声で残されていた。
「頭から血を浴びて真っ赤になっている人がたくさん」
浜井さんが被爆後に見た広島の街は悲惨なものだった。
浜井さんは焼け野原となった広島の復興に尽くし、1947年、広島市長として現在の平和記念式典につながる第一回平和祭を開催するなど復興の礎を築いた。
「こんな兵器ができた以上、もう戦争は二度とやったらいけんだろう」
説得力を持つ被爆者の言葉。悲惨な光景を目にした浜井さんの肉声に耳を傾け、メッセージの英訳に13人の学生が取り組んだ。
学生たちは、浜井さんの復興活動を一つ一つ英語に言いかえていく。翻訳することで被爆の実相に触れていった。
広島の洋菓子メーカーが来日をサポート
今回、13人の学生のうち代表者3人が実際に広島を訪れた。来日したカルヴィン・データーさんは「浜井信三さんという一人の人間の悲惨な経験と感情を知り、数字の大きさによる被害だけでない悲劇を知った」と言う。学生の取り組みを近くで見ていた東條さんは「本当に頑張って読んだんですよ。きっといろんなものを受け止めたと思います」と胸を熱くした。
広島に滞在中、東條さんが学生にどうしても見せたかった原爆資料館を訪れた。大学の机の上で学んだことを実感として受け止めてほしい。学生たちは資料館の展示を真剣な表情で見学し、涙ぐむこともあった。
アイダホ大学生・カルヴィン・データーさん:
もし自分がそこにいたらと思うと、自分だったら耐えられなかったと思うし想像を絶する。
アイダホ大学生・チャドウィック・グッダルさん:
これからも日本語をもっと勉強して、将来にわたり広島のメッセージを伝え続ける能力を身につけたい。
実は、学生が来日できた裏側には広島の地元企業のサポートがあった。アイダホ大学の活動を知った洋菓子メーカー「モーツアルト」が旅費を負担し、イベントに協賛。
広島市中区の広島国際会議場内にあるバッケンモーツアルトカフェで、学生が発表する場が設けられることになった。モーツアルト・田上友康社長の両親もまた被爆者である。
会場となった店舗の加藤義幸店長は「広島で生まれ育ったものとして、平和のイベントに何か貢献できることはないかという思いで」と話す。
被爆証言は国を越えて…
被爆証言の継承を願う様々な人の思いで実現した発表の場。カフェに集まった人のほとんどが外国人だ。最初に東條さんが「被爆の恐ろしさ、平和の大切さを日本語で理解し、それを自国の言葉で言いかえて発信していく彼らの思いが皆さんの心に届くことを願っています」とあいさつ。
そして英語に翻訳した浜井さんの映像とともに、浜井さんが力を尽くした復興への歩みを紹介。学生たちは母国語である英語を中心に、大学で学んだ日本語でも平和への思いを伝えた。
アイダホ大学生・パーカー・ハンセンさん:
幹線道路の両側からうめき声が波のように続き、浜井氏はその時の光景を後に「道端の地獄絵」と表現した。過去を忘れ、平和を当然と思うのは簡単だが、原爆の悲劇を忘れてはならない。たくさんの人はこの話を知るべきです。
アイダホ大学生・カルヴィン・データーさん:
子どもの時、私は嵐が怖かった。でも今、人間の残酷さのほうが嵐より恐ろしいと思います。原爆の恐ろしさをたくさんの人に伝えたい。
発表の場には、浜井信三さんの長男・順三さん、そして小倉桂子さんもかけつけていた。
浜井順三さんは「国を越えて活動が広がっていく。その一つのアプローチの道筋を示してくれました。素晴らしいと思います」と、彼らの発表を賞賛。小倉さんも「あなたたちが今回したことはすごく意味がある。どうぞ世界中に、世界の隅々まで影響を与えてください」と声をかけた。
東條さんは「これで終わりにしたくないですね。被爆者の方に頼ってきたところもあるのかなと思いますが、自分のできることを探して続けていかなきゃいけないと思います」と話す。
学生たちは帰国後、現地の高校などさらに若い世代へ継承していく予定だ。自国の言葉だからこそ伝わる表現がある。広島の被爆証言は、国を越えて歩き始めた。
(テレビ新広島)