「正直言って落胆」「納得が(できない)」。長崎地裁で下された判決に、被爆体験者たちの表情は晴れない。原爆投下から79年、「被爆者と認めてほしい」という彼らの訴えに、司法はどう向き合ったのか。

一部勝訴、しかし笑顔なき法廷

2024年9月9日、長崎地方裁判所。被爆体験者44人(うち4人死亡)が起こした訴訟の判決が下された。

長崎地方裁判所(2024年9月9日)
長崎地方裁判所(2024年9月9日)
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松永晋介裁判長は「『被爆地域』の外の一部のエリアでは、いわゆる『黒い雨』など原爆由来の放射性降下物が降ったと認められる」として、15人を被爆者と認定。県と長崎市に被爆者健康手帳の交付を命じた。
それ以外の29人、原告団の約3分の2が「被爆者」と認められなかったことになる。

被爆体験者 濱田武男さん(84※「はま」はまゆはま)
被爆体験者 濱田武男さん(84※「はま」はまゆはま)

しかし、勝訴した原告にも笑顔はなかった。現在の長崎市かき道で原爆に遭った、84歳の濱田武男さん(※「はま」はまゆはま)は被爆者と認められたものの、「広島は全部認められているでしょ。長崎はちょっと違う、となっている。納得が(できない)。喜びも何もない」と語る。

訴訟の争点は被爆者援護法が定める被爆者の定義「身体に原爆放射能の影響を受けるような事情にあった者」に「被爆体験者」が該当するか否かだった。原告側は「原爆放射能による健康被害を否定できなければ被爆者」とした2021年の「黒い雨」訴訟・広島高裁判決を踏まえ、「原告は、原爆投下後に降った灰などの放射性降下物の影響を受けていて、健康被害を否定できない」と主張。被爆者と認めるよう訴えていた。

「分断を持ち込む極めて悪質な判決」

この訴訟の背景には、「被爆地域」をめぐる問題がある。

国が定めた「被爆地域」は、科学的根拠ではなく行政区域(旧長崎市を中心)に基づいて決められた。その外側で被爆した人々は「被爆体験者」とされ、被爆者としての認定を受けられずにいた。

今回の判決で新たに認められたのは「東長崎地区」、具体的には旧矢上村、旧古賀村、旧戸石村のエリアだ。判決は1999年度の証言調査を根拠に、これらの地域に「黒い雨」が降ったと認定した。

原告団長の岩永千代子さん(88)は認定されなかった一人だ。「なぜ東側の人だけという。それこそ科学的合理的な根拠が全く分かりません」と落胆を隠さない。

原告側 足立修一弁護士(真ん中)
原告側 足立修一弁護士(真ん中)

原告側の足立修一弁護士は判決を厳しく批判し、「広島高裁判決をかなり後退させた内容」「分断を持ち込む極めて悪質な判決」「被爆の実相を見ようとしていない」と語気を強めた。

灰やちりは無視?全員救済を求めて

判決は「黒い雨」を重視する一方で、被爆体験者が訴えてきた灰やちりなどの放射性降下物による被害を認めなかった。「原爆投下後に降った灰が放射性物質であったか否かは定かではなく、的確な証拠もない」としている。

被爆体験者の取材を担当するKTNの松永悠作記者
被爆体験者の取材を担当するKTNの松永悠作記者

この判断に対し、約4年間、体験者の取材を通してガンや白血病など様々な病に苦しむ姿を見てきたテレビ長崎の松永悠作記者は「放射性降下物の中には雨だけでなく灰やチリもあるという考えもある中、「黒い雨」だけに注目した今回の判断には疑問を持たざるを得ない、これらの病気が原爆の放射線の影響ではないと結論付けられていいのだろうか、と疑問を呈する。

判決翌日の9月10日、原告側は長崎県と長崎市に「全員の救済」を要望する。弁護団は声明で「長崎原爆由来の放射性降下物による放射線の影響を過少評価し、内部被ばくの可能性を無視する判断をしている点は問題」「死の灰を健康影響の根拠としないのは極めて不合理かつ非論理的」と批判している。

「自分の命ある限り」と話す原告団長 岩永千代子さん(88)
「自分の命ある限り」と話す原告団長 岩永千代子さん(88)

岩永さんは「納得いかない裁判ですから、ギリギリ自分の命がある限り頑張ります」と決意を語る。

被爆から79年、まだ終わらない被爆者たちの戦いは新たな局面を迎えている。

この判決は、長崎の被爆体験者たちの人生に大きな影響を与えるだけでなく、原爆被害に対する国の責任や、被爆者援護のあり方についても再考を迫るものとなりそうだ。

(テレビ長崎)

テレビ長崎
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