能登半島地震で甚大な被害を受け2000人近くが一時孤立した輪島市の町野町では、若手を中心に町の未来を考えるプロジェクトが立ち上がっている。「町野復興プロジェクト実行委員会」実行委員長の山下祐介(やましたゆうすけ)さんに話を聞く。

地震発生時は道路が寸断され約2000人が孤立
稲垣キャスター:
地震発生時はどのような状況だったのですか?
山下祐介さん:
町野町は当時2000人近くが孤立する状況で、車で移動しようにも土砂崩れや隆起などで移動が困難でした。なかなか支援も入りにくかったです。この7カ月間は正直あっという間でした。

稲垣キャスター:
山下さんが実行委員長を務める町野復興プロジェクト実行委員会とは、どのような団体なんでしょうか?
山下祐介さん:
もともと地震の前にも町野の未来を考える会がありました。ただ地震の影響でその動きも止まってしまうかなと思い、メンバーの中の30代から50代の若手が集まって、今後の復興に向けて歩みを止めることなく「町野をいい街にしよう」と考える団体を立ち上げました。
町野復興プロジェクトとは?
稲垣キャスター:
具体的にはどんな活動をしているんですか?
山下祐介さん:
まずは地域のみなさんがワクワク楽しめるような活動をしていこうと、イベントを企画しています。たとえば屋外での映画上映会。奥能登は映画館がないので、だったら屋外でやってみようと。月命日に当たる毎月1日は、仮設住宅で皆さんからいただいたメッセージを書いたキャンドルを灯して亡くなられた方に哀悼の意を表しています。

本業の農業にも大きな被害
稲垣キャスター:
そんな山下さんの本業は農業なんですよね?
山下祐介さん:
祖父が田んぼをやっていて、それを引き継いでいます。金蔵という地域は全域がため池で水をまかなっていて、用水と田んぼの地割れなどの被害がありましたし、私自身は作業所が全壊しました。春は作付けも困難な状態でした。田植えは歩いて植えるタイプの田植え機やメーカーから機械を借りて行いました。金蔵地区は約15人が米作りをしていますが、今年の田植えは3人に減りました。例年だとイノシシが入らないように集落一体となって電気柵をはる取り組みをしていますが、今年はどうしても人手が足りないために後回しになり、イノシシが田んぼに入ってしまいました。


まずは住んでいる私たちが楽しい町に
稲垣キャスター:
最後に町野の未来についてはどのような思いでいますか?
山下祐介さん:
まずは住んでいる私たちがワクワク楽しい町になればと思って、地域一体となって楽しい町を作っていこうと、全力で頑張っていこうと思っています。