記録的大雨から8月15日で3週間、集落全体が浸水した山形・戸沢村蔵岡地区では今も復旧作業が続いている。この3週間のあいだに、「この地に住み続けたい」という住民の気持ちにも変化が生まれていた。

「死ぬまでここでやっていければ」

記録的な大雨で甚大な被害があった戸沢村蔵岡地区。
集落のそばを流れる最上川がはん濫し、一帯が水に浸かった。

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あらゆるものが泥にまみれた集落は、ボランティアの助けも得ながら復旧作業が進められてきた。

15日に蔵岡地区を訪れると、水に浸かった家財道具は少なくなったところもある一方で、まだ残されたままの家もあった。

作業小屋の片付けに取りかかる中村さん
作業小屋の片付けに取りかかる中村さん

蔵岡地区で農業を営む中村健一さんも、友人の力を借り、これまで手つかずだった作業小屋の片付けを始めていた。手伝いに来てくれた友人と一緒に、泥をかぶった農業機械を運び出していた。

中村健一さん:
1年しか使わなかった。アスパラの機械

中村さんの自宅は一階部分がすべて浸水。たび重なる浸水被害に集落を出る決断をした住民もいる。

しかし、中村さんは「生まれてずっとここで育ったので、死ぬまでここでやっていければと。それは変わらないです」と、蔵岡に残る決心を固めていた。

中村さんの気持ちに変化が…

3週間が経ち、中村さんの住宅は水に浸かった畳などがすでになくなっていた。中村さんの息子の友人が手伝いに来て、畳を全部出してもらったのだという。

中村さんは「泥だらけで足も踏み入れられなかったが、泥だししてもらったり、さまざまな人に恩を返せないくらいのことをしてもらった」と話した。

中村さんの住宅は少しずつ片付いてきているようにも見えるが、床下の泥は今も片づけられず残ったまま。なんとか前に進もうと毎日心を奮い立たせて来たが、肉体的にも精神的にも疲れはピーク…。

この3週間で、中村さんの気持ちに変化が生まれていた。

中村健一さん:
「誰が見ても限界だろう」と言われた。諦めた。片付けながらこれは無理だと。家族全員で墓に行って、仏様に手を合わせるときに「家は守れない」と謝った

当初は1人になっても「ここに残る」と決めていた中村さん。しかし周りの人の「集団移転すべき」との声を聞くうちに、「住民の総意・9割以上が移転であれば、反対しない」と集落を出る決意を固めたという。

それでも、農業だけはここで続けていく。蔵岡地区を出た人と、この地域との架け橋となるためだ。

中村さんは「みんなの農地も借りながらやっているので、自分がここで農家をやることによって地主さんに手伝ってもらいながら、地域との交流など何かしらやっていきたいと思っている。ちょっと心変わりはした。でも地元を捨てる気はない」と笑顔で話した。

(さくらんぼテレビ)

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