電話口の相手はどうやら四国コカ・コーラ社の渡辺社長本人です。
「ちょっと聞きたいんだが、東京に出向する気はあるか」
「はい。できれば行きたいです」
「よっしゃ、わかった」
その一言で電話は切れてしまいました。「何だ、いまのは」。思わずつぶやきます。
日本コカ・コーラへの出向が正式決定
翌日、オフィスに行くと、小林部長から「まだ正式ではないが、おめでとう。東京に出向が決まったぞ」と言われました。
後で聞いた話ですが、藤野さんから管理本部長の佐々木さんにこの件を直接社長に話して欲しいと働きかけてくれていたとのこと。
佐々木さんは営業本部長と並んで四国コカ・コーラ社で重要なポストに就いており、藤野さんのこともよく知っている方でした。
その佐々木さんが偶然渡辺社長と日本コカ・コーラの会議で東京に出張することとなり、羽田に向かう機内で「そう言えば山岡の出向の話はどうなりましたか」と社長に話しかけてくれたそうです。

社長からは「本人が行きたくないと言っていると聞いたんだが、まったく残念だなぁ」との返事があり、佐々木さんは「それはおかしいですね。私は行きたくないとは聞いていません。一度本人に確認してはいかがでしょうか」と言ってくれたそうです。
渡辺社長はそれを聞いて、私の意思を確認する電話を出先まで掛けてくれたのです。
数日たって再び本社に来るようにとの連絡が入りました。前回と同様に会議室に入ります。
営業本部長と常務はすでに会議室に座っています。
「日本コカ・コーラに出向することになっておめでとう。頑張ってきてくれるか」
営業本部長が私の肩を叩きます。な、なんだ、この豹変ぶりは。
「期待に応えていい仕事をしてきてくれ」
常務が続きます。もはや驚きしかありません。
世の中に安定した道などない
前回、本社に来た時の会議室は私にとって座敷牢のようなものでした。
自分の意志とは違う返答を強要され、それに逆らうことは厳しい結果を招くことにもなりかねません。上司が望む返事をしないまま、針の筵(むしろ)に座らされた思いでした。
そうやって自分を押し殺し、その場で聞かされた安定していそうな道を選ぶことがはたして正しいのか。
その時は混乱して上手く考えがまとまりませんでしたが、帰りのクルマの中で改めて考えてみると、とてもそうは思えませんでした。
もともと世の中には安定した道などありません。
自分で考え、判断して、とんでもない状況に陥ることがあっても、自らが決めたことならばそれでよしとするしかありません。自分で決めなければきっと後悔することになります。
周りの人の大きな助けもあり、私の大きな人生の分岐点になる出向が決まりましたが、この座敷牢で得たことが現在の自分の居場所をつくっている。いまではそう思っています。
そのようにしてやってきた東京ですが、最初はいままでとまったく違う仕事と職場環境に戸惑うことばかりでした。
今までと異なる環境に四苦八苦
私の知る日本企業の多くは、朝、真面目に「おはようございます」と挨拶しますが、日本コカ・コーラ社では副社長がスタッフに向かって、「ハーイ、調子はどう」といった具合に、すごくフランクです。
朝から眉間にしわを寄せるようなことはしません。
そこでの私の仕事の内容は、営業活動を支援する企画やツールの開発。いままで現場担当として、お店に取り付ける広告物や提案書をつくってきたのとはまったく違います。
さらに日本コカ・コーラ社は外資系企業。周囲は外国人だらけ。
英語もちんぷんかんぷんな私は満足にコミュニケーションを取ることもままならないのに、相手はそんなことはお構いなしに突っ込んできます。
なぜなら、そのポジションに就いているのだから、対応するのが当然だという意識があるからです。
「なぜ、あいつにこの仕事をさせるんだ。できないなら、とっとと四国に帰ればいいのに」
人づてにこんな言葉も聞こえてきます。
これまでの営業でメンタルは結構、鍛えられていたつもりでしたが、精神的にもかなり疲れてきます。
慣れるまでは、なんとなく身体が小さくなって、硬くなるような感触を抱えながらの毎日が続きました。
でもそこで学んだ仕事の進め方が、私をより成長させてくれることになったのです。
(本文に登場する人物名・店名などは、実名・仮名を適宜使い分けています)

山岡彰彦
株式会社アクセルレイト21 代表取締役社長。現在は複数の大学で講義、多数の日系・外資系企業で研修を行っている