2024年5月6日、東京ドーム
マイク・タイソンがリングに沈んだ衝撃の一戦以来、34年ぶりとなるドーム開催のボクシング興行。そのメインイベントで、世界スーパーバンタム級4団体統一王者の井上尚弥は改めて「モンスター」たる所以を全世界に示した。
相手は過去にドーピング疑惑や体重超過など、日本ボクシング界にとって因縁浅からぬ元2階級王者のルイス・ネリ。
その第1ラウンド、井上曰く「(観客にとって)サプライズ」のキャリア初ダウンを奪われたものの、その後は攻守にメキシカンを圧倒。都合3度のダウンを奪い、6回TKOで悪童を沈めてみせた。
4本のベルトを防衛した4日後には、世界で最も権威のあるボクシング専門誌「リング」が選ぶパウンドフォーパウンド(全17階級の選手が同体重だった場合と仮定しての最強ランキング)でも2年ぶりに1位に返り咲き、名実ともに「最強」の座は揺るぎないものとなった。
※その後ヘビー級初の4団体統一王者となったウシクが1位となり、5月22日時点で2位
怪物は生まれたのではない、育てられたのだ
井上が初めて世界タイトルを奪取してから10年になる。その間はもちろん、幼少期にボクシングを始めてからここまで、常に父・真吾の姿が隣にあった。
この記事の画像(13枚)井上が幼少期を振り返る。
「朝、子どもだからテレビでアニメとか見たいじゃないですか。それでテレビをつけていると、上からダダダダと降りてくる階段の音がするんですよ。そうすると慌ててチャンネンルを替えたりして」
「そんなもの見ているんだったら走りに行けと、だから普通の家庭のお父さんが朝仕事に出て行って夕方帰ってくるみたいな、そういう家庭に一時期憧れたときはありました」
しかし、父はただ一方的に押しつけていたのではない。
「もし例えば自分が練習のことでも何でも言うのであれば、自分がやってなかったら簡単には言ってはいけないと思っているんですよ。それは練習だけではなくて、私生活でも何でもそうなんですけど」
「だから子どもたちに言うのであれば、自分も責任持って言っていることをやれているのかどうか、いつも思っています」
この父がいてこの子がいる。
「だから全てにおいてのアドバイスとかっていうものは素直に受け入れられますし、どんだけキツイことをやっても言われても、やっぱりそこはやれてきたっていう自負はあります」
父の葛藤と息子の思い
アマチュアボクサーだった父、その姿に息子は憧れた。
父に教えられ、小学1年生で初めてリングに立った。
息子の才能に気づいた真吾は営んでいた塗装業を仲間に任せ、指導に専念するようになる。
独学でトレーナーを始め、ミットを持ち、自分が考えたメニューを息子と一緒にこなした。
持てる時間全てを息子に捧げた。
とはいえ自分はチャンピオンでも有名選手でもない。
2013年、前年にデビューした息子が日本タイトルに挑戦する直前に行ったインタビュー。その心の内を語った。
「自分の中では本当にいいのかなっていうのはありましたよ。やっぱり本当の世界戦とかに携わっているとか、いろんな経験をしているトレーナーに預けた方がいいのかな、いや、むしろもう預けたいぐらいに思っていました」
「カミさんにもナオにも色んな話はしましたし。でもナオが最後に父さんとじゃなきゃ意味ないんだよって言ってくれたんですよね」
井上はそんな父についてどう思っていたのか。
「ぶきっちょなんですよね、すごい。だからそれを聞くときも、もういきなり帝拳ジムだとか、まだその時は決まってないですよ、ジムどこだとか、もう預けるからみたいに言われて」
「こっちはエー!?ってなるじゃないですか。いやいや俺は普通にお父さんとやりたいっていう話から入ったんですよ」
「仕事よりも自分たちを選んでくれた。塗装業をやっていたじゃないですか、それを捨ててまで自分たちのトレーナーについてくれたっていうのはすごく考えるんですよ。だからもっと頑張んなきゃいけないなっていうのはすごくあります」
「親子で二人三脚でやって世界チャンピオンになる。それがやっぱり一番意味のあることだと思うので。だから他の人じゃダメなんですよね」
世界へ、統一チャンピオンへ
2014年4月6日、20歳で世界に初挑戦したWBC世界ライトフライ級タイトルマッチ。父はトレーナーとしてセコンドについた。
相手は、ここまで4度防衛しているメキシコのアドリアン・エルナンデス。井上は減量の影響から途中で足がつるアクシデントに襲われた。
だが冷静に対処し、最後は右ストレートをヒットさせての6回TKO勝ち。当時の日本最速プロ6戦目で世界王座を手にした。
息子とともに陣営に肩車された父は盛り上がりが最高潮に達した会場で叫んだ。
「ナオおめでとう!最高!」
確かな一歩を踏み出すと、その後は無敵のチャンピオンロードを突き進む。階級を上げた先のスーパーフライ級も制し、バンタム級へ。
そのバンタム級でも、世界5階級制覇のノニト・ドネアなど数々の強豪をリングに沈め2022年12月に主要4団体の統一王者となる。そしてスーパーバンタム級に転向。わずか2戦でこの階級の4団体統一王者へと上り詰めた。
父と子の向かう先
大きな変化がひとつあった。真吾は7年前からミットを持たなくなった。
引くことも愛
今は少し離れた距離から見て客観的なアドバイスを送る。
怪物も31歳、22回目の世界タイトル戦となった今回の試合。
この先、どこへ向かおうとしているのか。決戦2カ月前の今年3月、カメラの前で井上はこう語った。
「自分は調整試合を挟まないでずっとタイトルマッチでやってきて、ぶっちゃけ、もういつでも辞められるぐらいの結果を出してきてるから、あとは自分がどこで満足するかみたいなところになってくる。でも2階級で4団体統一しても全然満足していないんです」
ーーどこに行きたい?
「そこなんですよね。だからそこが難しくて。元々予想もしていなかったところまで来てますからね」
「まあでも本当に、お父さんと大橋会長には感謝しきれないほどのものを感じています」
一人では登れない山が世界にはある。見果てぬ頂へ、父と子の戦いは続く。
次戦は早くも9月に予定されている。
『すぽると!』
5月25日(土)24時35分
5月26日(日)23時45分
フジテレビ系列で放送中
『土曜日のキャンバス』 ~挑み続ける彼らを追って~
次回6月1日は東京オリンピック金メダリスト、柔道100キロ級ウルフ・アロン選手。
東京五輪後、勝てない日が続き、史上初の100キロ級2大会連覇がかかるパリ五輪出場へ黄色信号が灯る状況に。しかし、負けたら落選もあり得た国際大会で見事に逆転優勝し、パリ行きを決める。学生時代から常に劣勢な状況を跳ね返してきた、ウルフ選手の“土壇場力”に迫る。