5月12日、母の日の神宮球場でひときわ輝いた選手がいた。ヤクルト・長岡秀樹22歳。

この日「2番・ショート」としてスタメン出場。

前日の試合で1番・塩見が負傷し、普段とは異なる打線の並びとなったが意に介せず4打数4安打を放つ。守備では4回1アウト1、2塁、外野に抜けそうなあたりを好捕し、3塁に送球しフォースアウト、ピンチの芽を摘み相手の先制点を阻止した。

母の日に4安打と大活躍
母の日に4安打と大活躍
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8回には終盤でリードを広げる貴重なタイムリーも放つなど、チームの勝利に貢献した。

試合後、お立ち台に上がった長岡は、
「まだありがとうと言えていないので、帰ったらちゃんとありがとうと言いたいです」
と、母への感謝の思いを述べた。

ヒーローインタビューでの長岡
ヒーローインタビューでの長岡

その長岡には、白血病と戦う母とのこんなストーリーがあった。

息子から母へ 命の絆

長岡
まさかとは思いました。聞いたことあるような(病気の)名前だったので。身近な自分の母がとは思いました

それは高校1年生の時のこと。母・綾子さんが白血病を発症。生活は一変した。

長岡
いつも帰って(洗濯物を)出しとけば母親がやってくれてて、ご飯もあって。でそれがいなくなって入院したんで自分で洗濯して。お弁当をほかの同級生(のおかあさん)から作ってもらっていて、申し訳ないなって気持ちもありました

仲の良かった同級生3人のお母さんが事情を聞き、日替わりでお弁当を作ってくれる日々が始まった。

高校時代、母とともに
高校時代、母とともに

母の体調が良いときは、病室に顔を見に行き野球の活躍を報告した。高校1年生の秋の大会。初めてもらった背番号をユニホームに縫い付けてもらったのも病室だった。

骨髄移植が必要な中、型の一番近かった長岡自身がドナーとなった。移植しなければ母の5年生存率は3%、手術をすれば長岡も野球からしばらく離れることになる。それでも長岡は…

長岡
自分の恐怖は全く無かったです。(母が)大丈夫かなという不安はありました

移植手術の影響で、長岡の体に激痛が走ることもあった。

長岡
僕は(移植手術が)終わって、腰で血をいっぱい作るんで腰が痛かったり、学校へ行っても椅子に座るのがきつかったりしたんで、早退して学校も休んだりとか、しばらくはそうしていました

それでも母の移植手術は無事に成功。
母の未来を息子の勇気が救った出来事だった。

母から息子へ 背中を押した一言

その後、プロに進むべきか悩んでいた高校3年生の長岡。
『プロ志望届を出して指名されなかったらどうしよう』
そんな不安がよぎる中、今度は母が息子の勇気を後押しする。

長岡
『ダメ元でもいいから(志望届を)出せばいいじゃん』と言われて、出すのを決断しました

プロ入りを応援してくれた母とともに
プロ入りを応援してくれた母とともに

その結果、ヤクルトからドラフト5位で指名を受け、プロの門をたたいた。

プロ入りから2年はなかなか出場機会に恵まれなかったが、2022年のオープン戦でアピールに成功。開幕一軍を勝ち取ると、正遊撃手としての地位を確立、自身初の規定打席到達も達成した。

母のあと押しでプロの世界へ
母のあと押しでプロの世界へ

守備では球団史上最年少でゴールデングラブ賞を獲得。まさに飛躍の年となった。

もしあのときプロ志望届を出していなかったら。
『ダメ元でもいいから出せばいいじゃん』

息子の未来を変えた母の一言だった。

息子から母へ 活躍の誓い

無事に回復した母は現在、長岡の活躍を見に球場にも足を運んでくれるという。

家族で長岡の活躍を応援
家族で長岡の活躍を応援

長岡
だいぶ試合に来ています。まだ行ったことない甲子園とかも行きたいとか言いはじめて。試合が終わった後はクラブハウスで話したりしています

そんな母の存在は、長岡の活躍の大きな原動力になっている。

長岡
生でいいところをたくさん見せたいという気持ちは強いですね。息の長い野球選手になりたいですし、本当に活躍してチームの中心選手になれるように、ずっと応援してもらいたいです

プロ5年目、母のためにもより一層の輝きを誓う。

『すぽると!』
5月18日(土)24時35分
5月19日(日)23時45分
フジテレビ系列で放送