日本人メジャーリーガー最多となる通算176号ホームランを放ち、世界中に「SHO-TIME」を巻き起こしている大谷翔平。

その大谷同様、今や多くの日本人選手が活躍しているメジャーリーグだが、1964年に1人の日本人がメジャーのマウンドに立っていたことはご存知だろうか。

世界への道を切り開いた日本人メジャーリーガーの歴史と、グローバル化するスポーツビジネスについて、内野宗治氏の著書『大谷翔平の社会学』から一部抜粋・再編集して紹介する。

日本人初メジャーリーガー・村上雅則

国際社会においてスポーツは「代理戦争」の一面もあり、政治や社会と切り離せない。
とくにグローバル化した今日の世界では、スポーツは外交問題やナショナル・アイデンティティと密接に結びついている。

そのことを念頭に置いたうえで、今日に至るまでの日本人メジャーリーガーの歴史を、日本社会の変遷とともに振り返ろう。

日本人メジャーリーガーの「パイオニア」は1995年にロサンゼルス・ドジャースでデビューした野茂だと言われているが、野茂は「史上2人目」の日本人メジャーリーガーだ。

記念すべき日本人メジャーリーガー第1号は、野茂のデビューにさかのぼること31年、1964年にサンフランシスコ・ジャイアンツでデビューした当時20歳のサウスポー・村上雅則だった。

日本人メジャーリーガー第1号は村上雅則(画像:イメージ)
日本人メジャーリーガー第1号は村上雅則(画像:イメージ)
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NPBの南海ホークスに所属していた村上はプロ2年目の春季キャンプ中に突然、ジャイアンツ傘下のマイナーリーグ1Aのフレズノへ、2人の選手とともに野球留学生として派遣された。

日本から3人の若手選手を受け入れる際にジャイアンツは「もしメジャー昇格者が出た場合、1万ドルの金銭トレードで契約可能」という条項を契約に含めたが、南海は「メジャー昇格者など出るわけない」と考え、気にも留めなかった。

日本人選手がメジャーでプレーをするなんて夢のまた夢だった時代だ。しかし村上はマイナーリーグで頭角を現し、なんとメジャーからお呼びがかかった。

村上はメジャーからお呼びがかかった(画像:イメージ)
村上はメジャーからお呼びがかかった(画像:イメージ)

1964年9月1日、村上は日本人初、さらにはアジア人初のメジャーリーガーとしてニューヨーク・メッツの本拠地シェア・スタジアムのマウンドに立った。