江戸時代には黒田長政が幕府への献上品として用いるなど、約800年の歴史がある「博多織」。国の伝統的工芸品に指定されているが、職人が激減し危機的状況となっている。そんな中、子育てと両立しながら職人を目指しているという女性に迫った。
後継者不足を打開する一手
「手と足を両方使わないといけないので難しいです」と、不慣れな手つきで織機を扱う女性は、木場美絵さん(43)。
この記事の画像(13枚)木場さんが織っているのは、国の伝統的工芸品に指定されている博多織だ。
木場さんは、この春、国内に一つしかない博多織の職人を育成する専門学校に入学した。
木場美絵さん:
43歳の1年生です
約800年の歴史がある博多織。江戸時代には黒田長政が幕府への献上品として用いたことでも知られている。博多織の職人は最盛期には3800人ほどいたが、2022年には250人余りに激減し、危機的状況となっている。
博多織デベロップメントカレッジ・大淵和憲教頭:
博多織に従事する人たちが減ってきていて、なおかつ高齢化していったということで、単純に後継者が不足している。その状況を何とか打開しなきゃいけないということで、この学校が作られました
2006年に開校した博多織デベロップメントカレッジでは、2年から最大5年のカリキュラムを通して博多織の職人を目指す。これまでに86人が卒業し、現在は木場さんを含む3人が通っている。
先輩は20歳年下 イチからの挑戦
博多織デベロップメントカレッジに通っている3人の中の1人、中原希さんは現在20歳だ。
中原希さん:
私は小さい頃に祖母に浴衣を着つけてもらったりしていて、その時に和服に興味を持ったんですけど、小学校低学年くらいの頃に博多織というものがあると知って、「あぁ、やってみたいな」と
中原さんは現在この学校の3年生。木場さんにとっては20歳以上、年齢の離れた先輩となる。
中原希さん:
(年上の後輩に)最初は驚いたんですけど、この学校って年齢層がバラバラで入ることが多いので、「そうなんだ」という感じでした
43歳で新たな道を進む木場さんは、小学2年の息子を持つ母親でもある。息子に博多織の学校に入ることを話した時には、「え?学校に行くの?」と驚いていたという。
子どもは小学校が終わり次第、留守家庭保育に預け、博多織の学校が終わってから迎えに行くなど、子育てと両立している。
木場さんはなぜ、博多織の職人を目指そうと思ったのか。
木場美絵さん:
“派遣”で、取りあえず働いていたんですが、先が見えないとかが不安になって…。やっぱり前職の派遣よりは、ちゃんと手に職をつけるようなことをしたいなと思って、イチからの挑戦になるんですけど、勉強してみようかと思いました
87歳の老職人が託すバトン
入学した当初は、練習用の織機を使っていた木場さんだが、この日は初めて職人が使う大きな織機に挑戦していた。機械操作に苦戦する木場さんに指導が入る。
指導教員・渡邊福夫さん:
こちら側ね、これはトントンとする。打ちよう間にこんなに緩んだら駄目なの、いいね?
木場さんの指導にあたる渡邊福夫さんは87歳。16歳から博多織の道に入っている。博多織の職人が年々減っていく中、木場さんたちのような次世代を築く人たちが現れたことをうれしく思っていると話す。
指導教員・渡邊福夫さん:
時代の生活様式が変わって洋服になって、和服を着る人が少なくなってきている。だけど日本の着物は私、世界一の衣装だと思う。日本の文化を世界に発信してほしい
実際に後継者がいなくなった伝統工芸が福岡にはある。福岡市東区の筥崎宮で開かれる放生会で売られていた伝統工芸「チャンポン」だ。放生会に欠かせない縁起物だったが、実は5年前に唯一の職人が亡くなり、それ以降、販売されていない。
800年の歴史あるバトンを託された木場さんに今後の目標を尋ねると…。
木場美絵さん:
まず納得のいく自分の作品を作りたいなと思います。博多織についてあまり詳しくない人にも分かってもらえるように、見学してもらえるような工房を作りたいです
後継者不足に頭を悩ませ、技術継承に力を入れている博多織だが、博多織を使ったぬいぐるみや名刺入れなども販売されていて、海外からも人気を集めているそうだ。
43歳の新たな挑戦はまだ始まったばかり。福岡が誇る伝統的工芸品「博多織」は、確実に未来へと紡がれていく。
(テレビ西日本)