3月29日、子ども家庭庁は、児童虐待対応のマニュアルを改正し、本文から「揺さぶられっ子症候群=SBS」の診断基準に関する記載を削除した。2018年以降、SBS裁判で「揺さぶり」を否定する無罪判決が相次ぎ、2020年からは国会でも改正の必要性が指摘されてきた。その後も国は改正を見送ってきたが、4年を経て削除に踏み切った。いったい何があったのか。

■国の虐待対応マニュアルには「必ずSBSを第一に」

厚生労働省(去年、虐待対応業務はこども家庭庁に移管)が2013年に作成した「子ども虐待対応の手引き」は、ほとんどの児童相談所が対応時に参照しており、現場に絶大な影響力を誇っているマニュアルだ。このマニュアルには、SBSの診断基準について以下のような記載がある。

「SBSの診断には、【1】硬膜下血腫またはくも膜下出血【2】眼底出血【3】脳浮腫などの脳実質損傷の3主徴が上げられ(る)」 「家庭内の転倒・転落を主訴にしたり、受傷機転不明で硬膜下血腫を負った乳幼児が受診した場合は、必ずSBSを第一に考えなければならない」

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乳幼児に硬膜下血腫など3つの症状があれば“揺さぶり虐待”と診断できるとするいわゆる”3徴候”や、親が硬膜下血腫の原因として家庭内の事故と説明した場合には嘘だと疑ってSBSを前提にした対応を促す内容となっている。

■無罪判決続出で…脳神経外科学会もマニュアルに異論

しかし、揺さぶられっ子症候群をめぐっては、小児科医らがSBSと診断したことを根拠に親などが起訴された裁判で、2018年以降「揺さぶり」を否定する無罪判決が続出。これらの裁判では、偶発的な事故や乳児の先天的な疾患などによって頭蓋内出血が生じた可能性を見逃していたことが明らかになっていく。

これにより、国のマニュアルに記載されているSBS診断基準について、医学界からも異論の声が出始める。2020年には、日本脳神経外科学会が「手引きの記載には脳神経外科医の意見が十分に反映されているとは言い難い」として改正に関与することを厚生労働省に要望。国会でもマニュアルの見直しを求める指摘が続いた。

■4年を経てマニュアル改正…SBSの診断基準を削除

厚生労働省は、2020年以降も児童相談所のSBSへの対応状況の調査を行うも、診断基準見直しの議論は避け続けた。しかし去年になって眼科、小児科、脳神経外科、法医学、放射線科、児童相談所の関係者を集めて非公開の意見交換会を2回(去年12月、今年3月)にわたって実施。

その結果を踏まえて、3月29日にこども家庭庁はマニュアル改正に踏み切った。

長男が生後7カ月の時につかまり立ちから転倒した事故でSBSを疑われ、1年以上の親子分離を経験した菅家英昭さん(SBS/AHTを考える家族の会代表)は、「診断基準を削除しているが、とにかく親の虐待を疑うべきという”保護ありき”の内容は変わっていない。誤認保護を防ぐための見直しもなく、私たちと同じような被害が減っていくのか疑問です」と肩を落としている。

■代わってセカンドオピニオン推奨…効果は?

今回の改正では、「虐待による頭部外傷」が疑われる事案では、複数の診療科の医師にセカンドオピニオンを依頼することを促す記載が追加された。しかし、セカンドオピニオンを推奨することにどれだけの効果があるのだろうか。

今回のマニュアル改正について、SBS検証プロジェクトの笹倉香奈共同代表は「遅きに失した感はあるが、硬膜下血腫などがあれば虐待と決めつける従来の基準を削除したことは評価できる。ただ、従来のSBS診断基準で診断している医師もいまだに多く、セカンドオピニオンを推奨するだけでは誤診が生まれる構造は変わらないのではないか」と話す。

■国が連携する学会の一つは、従来のSBS診断基準を現在も”公認”

こども家庭庁は、児童相談所がセカンドオピニオンの協力医を紹介してもらうことができる学会として、6つの学会と連携。その中の一つに、日本子ども虐待医学会がある。 日本子ども虐待医学会が「学会公認マニュアル」としているのが、2011年に作成された「子ども虐待対応・医学診断ガイド」だ。

この診断ガイドでは、乳幼児の硬膜下血腫のうち約5%が不慮の事故(すなわち、95%は虐待ということになる)とする記載や、3徴候があれば3メートル以上からの落下事故などがない限りSBSである可能性が極めて高いとする記載がある。

厚労省によれば、国のマニュアルはこの診断ガイドが主たる医学的根拠だという。この診断ガイドを今も「公認マニュアル」と標榜し続けている学会にセカンドオピニオン医の紹介を求めた場合、従来と同じ診断が下されることは変わらないのではないか。

日本子ども虐待医学会に問い合わせると、メールで回答があった。

【質問】 「貴学会として(診断ガイドの)記載は現時点においても正しいとお考えでしょうか?今も見直しの必要はないとお考えでしょうか?」

【日本子ども虐待医学会の回答】 「過去の厚生労働科学研究の成果物ですので、当学会が勝手に修正することはありませんし、コメントできません」

【質問】 「貴学会が児童相談所に紹介した医師は、貴学会公認マニュアルである診断ガイドの記載に医学的根拠があることを前提に鑑定、診断意見を行なっているものと思料しますが、このような理解でよろしいでしょうか?」

【日本子ども虐待医学会の回答】 「当学会として、鑑定医に対して、鑑定内容に関しての指導は行なっておりません。よって、鑑定に際して当学会公認マニュアルを活用するかどうかは鑑定医自身の判断になります」

【質問】 「貴学会として手引き(=国の虐待対応マニュアル)の記載等は現時点においても正しいものとお考えでしょうか?」

【日本子ども虐待医学会の回答】 「こども家庭庁が判断すべきことであり、当学会が取材にコメントできません」

しかし、こども家庭庁は、今回の改正ではマニュアル記載の正否については一切触れることなく、医学的記載を削除した。従来のSBS診断基準に根拠があったのか、その検証は宙に浮いたままだ。

■脳の専門医は「国の“責任放棄”としか思えない」

国のマニュアルの問題を以前から指摘してきた脳神経外科の朴永銖医師(奈良県立医科大学病院教授)は、「脳の専門医から見てマニュアルに医学的根拠がないことは明らかだった。なぜ問題のある基準を国が採用し続けて社会的混乱を生じさせたのか、その検証が全くされていない。削除しただけでは国の“責任放棄”としか思えない」と国の対応を厳しく批判する。

こども家庭庁は、マニュアル本文の記載を削除した理由について「児童福祉現場が直接理解・判断することが難しい」からとしている。

しかし、マニュアルの”3徴候”基準や「必ずSBSを第一に」といった記載は、むしろ非常に理解・判断しやすい内容だったのではないだろうか。誰でも分かる単純化された診断基準だったからこそ、医師、児童相談所、捜査機関の現場に一気に浸透し、その結果、不当な長期親子分離や冤罪が増えていったのではなかったか。

こども家庭庁の担当者に問うと、「医師の見解もあるので、医師に根拠どうなんですかと私たちが問うのも難しい」と本音を漏らした。今後、医療現場でSBS診断がどのような根拠で行われていくのか注視していく必要がある。

(関西テレビ報道センター記者・上田大輔)

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