110年ぶりというだけで劇的だった。しかし、土俵の神様はそれ以上のドラマを用意していた。

3月、大相撲春場所で実に110年ぶりとなる新入幕優勝を成し遂げた尊富士(たけるふじ)。

110年ぶりとなる新入幕優勝 尊富士
110年ぶりとなる新入幕優勝 尊富士
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14日目の取り組み中に、右足首靭帯損傷という大怪我を負いながら、千秋楽を強行出場。

「土俵に立つだけでも奇跡」「勝つのは難しい」と誰もが思う中、見事な相撲を見せ、会場のファンを沸かせて見せた。

「奇跡」という言葉でも安く思えてしまうほどの大偉業。

その裏側には、怪我で失意に陥る尊富士を救った、偉大な兄弟子の存在があった。

史上最速タイ記録で幕内入り

尊富士は青森県北津軽郡金木町(現・五所川原市)出身の24歳。日本でも屈指の相撲どころである青森で幼少の頃から相撲を始め、小学生の時には「つがる旭富士ジュニアクラブ」に通っていた。

旭富士とは今の部屋の師匠である伊勢ケ濱親方の現役時代の四股名であり、この頃から伊勢ケ濱部屋で関取になる運命は決まっていたのかもしれない。

学生相撲時代(日本大学)は度重なる怪我もあり、大きな成績は残せず。そのため、周りが付け出し資格を獲得し華々しく大相撲デビューを飾る中、2022年の秋場所で前相撲を取った。

それでも、学生相撲でトップの実力を持っていた尊富士は破竹の勢いで番付を駆け上がっていく。序の口、序二段で連続優勝を果たすと、歴代7位となる所要8場所で十両に昇進。

さらに、新十両でも優勝を果たし十両を1場所で通過。史上最速タイとなる所要9場所で新入幕を果たした。

新大関を破った琴ノ若戦
新大関を破った琴ノ若戦

そして、その勢いは幕内に入っても止まらなかった。持ち前の鋭い立ち合いから馬力とスピードを活かした速攻相撲で、並み居る幕内力士たちを撃破。

初日から11連勝を飾り、あの昭和の大横綱・大鵬が打ち立てた、新入幕初日からの連勝記録に並んだ。

13日目 関脇・若元春を寄り切る
13日目 関脇・若元春を寄り切る

13日目を終えて12勝1敗。2つの星の差をつけて優勝争いの首位を独走していた。あと一つ勝てば、110年前の大正3年以来となる新入幕力士による幕内最高優勝の快挙。

しかし、14日目の朝乃山戦で思わぬ落とし穴が待っていた。

14日目 担架で運ばれる
14日目 担架で運ばれる

取組中に右足をついた際に靭帯を伸ばしてしまい、右足首の靭帯を損傷。自力で歩いて支度部屋に戻ることができず、車椅子で医務室へ。そのまま救急車で病院へ運び込まれた。

失意の尊富士を救った兄弟子

尊富士にその時の様子を振り返ってもらった。

「何も考えられなかったですね。頭が真っ白と言いますか。相撲どころか歩くのもままならない状態でした」

治療を終えて宿舎に帰ってきたのは、夜の10時過ぎだった。

「最初は(明日は)出られないと思って落ち込んでいました。師匠には『この状態だと無理です』と伝えました」

偉業を目前にしながら、直前でまさかの大怪我。

尊富士は失意の底にいた。しかし、そんな彼に声をかけたのが、部屋の兄弟子の横綱・照ノ富士だった。

千秋楽前夜 横綱・照ノ富士との出来事を語る 尊富士
千秋楽前夜 横綱・照ノ富士との出来事を語る 尊富士

「親方に伝えた後に横綱から、『そんなのでいいのか、後悔するぞ』『今までやってきた14日間が何のためだったかわからなくなる』『記録じゃなくて記憶に残る力士になると自分で言ったんだから、出たら記憶に残るぞ』とアドバイスをいただいた。そこから一瞬でスイッチが変わって、急に歩けなかったのがちょっとずつ歩けるようになって。不思議なぐらい、怖かったです、自分が」

実は、先場所の優勝パレードで共にオープンカーに乗り込む旗手を尊富士に任せていた照ノ富士。通っていた時期は違うものの、同じ相撲の強豪校・鳥取城北高校出身であり、怪我に苦しんできたという共通の過去も持つ部屋の後輩。

稽古場では、上半身の筋トレを繰り返す尊富士に四股とすり足で強靭な下半身を作ることをアドバイスするなど、部屋の弟弟子の中でも特に目をかけていた。

そんな兄弟子からの叱咤激励が、諦めかけていた尊富士の心を再び奮い立たせ、彼を千秋楽の土俵に導いたのだ。

「気合ですね、相手がどうのこうのではなく、自分に勝つために土俵に上がりました。未来は変わるけど過去は変わらないので。土俵で崩れてもいい、恥をかいてもいいやと思って必死に出ました」

そんな思いで臨んだ千秋楽。

千秋楽 豪ノ山を押し倒す
千秋楽 豪ノ山を押し倒す

勝った瞬間の地鳴りのような歓声と拍手。

110年ぶりの快挙達成は、怪我を押しての勝利というドラマも加わり、とてつもない熱量を帯びた相撲史に残る出来事となった。

私はこの光景に見覚えがあった。

それは7年前の同じ大阪場所。怪我で苦しむ新横綱の稀勢の里が、千秋楽に本割と優勝決定戦を連続で制し、大逆転優勝を飾った。あの優勝決定戦の瞬間も、会場のエディオンアリーナには割れんばかりの歓声が巻き起こっていた。奇しくもその時の相手は、照ノ富士であったのも何かの運命を感じざるを得ない。

そんな元稀勢の里の二所ノ関親方に、今場所を振り返ってもらった。

「久々に世代交代の風が吹いているような、ここ5〜6年なかったそんな風が吹いているような場所だったと思います。上位陣もうかうかしていられない。すごく危機感を持って稽古すると思うし、大相撲の底上げのためにもいい若手が上がってきたかなと」

二所ノ関親方(元稀勢の里)
二所ノ関親方(元稀勢の里)

「自分の話になるが、照ノ富士が来た時に『ヤバい』と思った。当時の大関・横綱陣はみんな思ったはず。照ノ富士が上がってきたことによって、全体の層も上がった。危機感を持って稽古に臨むと大相撲も底上げしてくると思う。どんどんみんな強くなってくる。もっといい相撲界になる」

伊勢ケ濱勢の天下は続くのか

伊勢ケ濱部屋の千秋楽パーティー。

祝勝会 兄弟子の照ノ富士と喜びを分かち合う
祝勝会 兄弟子の照ノ富士と喜びを分かち合う

そこには、尊富士と抱き合い、肩を組み、満面の笑顔を浮かべる照ノ富士の姿があった。お客さんとの記念撮影では率先して場を仕切るなど、弟弟子の快挙が嬉しくてしょうがない様子。まるで本当の兄弟のようだった。

これで先場所の照ノ富士に続いて、2場所連続で伊勢ケ濱部屋の力士が優勝。6人もの関取を抱え、普段から質の高い稽古が積める環境にあり、これからも伊勢ケ濱勢の勢いが落ちる様子は感じられない。

彼らに加え、来場所は「琴櫻」を襲名して挑む琴ノ若や2場所連続2桁勝利をあげた期待の若手・大の里など、次は誰が主役となるのか。

会場が揺れるような劇的な一番を、何年後でも思い出せるような強烈なドラマを期待しながら、来場所を待ちたいと思う。

3月31日(日)からは、8年ぶりに完全リニューアルし復活する新生『すぽると!』がスタート。キャプテンの千鳥と解説者やアナウンサー陣がどのような化学反応を起こすのか?

毎週土曜24時35分~25時15分
毎週日曜23時15分~24時30分

山嵜哲矢
山嵜哲矢

株式会社ビーフィット チーフディレクター
東京学芸大学卒業後「ジャンクSPORTS」や格闘技中継などを担当
2012年から「日本大相撲トーナメント」中継に携わり
2016年からスポーツ局の相撲担当として場所中や場所後の取材を行う