能登半島地震の発災からまもなく3カ月。FNN取材団として福島テレビの矢崎佑太郎アナウンサーが、揺れが強かった石川県珠洲市を中心に取材をしてきた。そこで出会った女性は、地震後初めて祖母の家を訪れていた。津波で壊された家を見て「逃げられなかったのだな」と語った。
復旧阻む悪路 未だ寸断と規制
最大震度7を観測した石川県能登半島。発災から3カ月が経とうとしている現在も、被災地の道路は生々しい傷跡が見られた。山間や沿岸部に続く道路は、至る所で寸断と規制が続き、復旧を進める上で大きな壁になっている。

火災と津波 珠洲市宝立町
石川県珠洲市宝立町では、震度6強の揺れが観測され、地震の後火災が発生。さらに沿岸部は津波に襲われた。
国土交通省によると石川県では珠洲市のほかに、能登町と志賀町で合わせて約190haが津波によって浸水。珠洲市には、高さ約4メートルの津波が襲ってきたと見られている。

津波で大切な人を亡くした女性
「今、初めて見に来たんです。それまで全然道がどこも通れなくて、危ないのもあって」と話すのは、珠洲市に住む赤坂恵さん。「なんて言ったら良いんでしょうね。まさか、こんなことが起きて親類が亡くなるというのを考えたことが無くって」…祖母の石藏とみえさんと、伯母の石藏恵美子さんを津波で亡くした。

動けない祖母 置いて逃げろ
「見ての通り、珠洲市はみんな海岸べりに家がある。津波が来た場合は、どこかに逃げるという、それだけはみんな把握していたと思うんですけど、逃げる道を分かっていても、逃げる道がなくなっていた」と話す。

祖母のとみえさんは94歳。孫や家族の成長を、温かく見守ってくれていた。
「ばあちゃんが動けないかもしれない」…あの日、祖母と一緒に住んでいた伯母から親族に電話があった。「置いて逃げろ」…親族は伯母にそう伝えたという。

逃げられなかったのだな…
「ばあちゃんはソファーに座ったまま、水に全部浸かった感じで座ってたって。まさか、伯母ちゃんまで。逃げてると思っていたので、それを聞いたときにびっくりして言葉出なくなって。この現場を見たら、逃げられなかったんだなって分かって」と赤坂さんは話してくれた。

未だに何をしたらいいのか
自分の自宅も被害にあったという赤坂さん。「未だに何をしたらいいのか、何から始めればいいのか、ちょっと分からない状態で。なんとか…なんとか生活しているという感じです」と語った。

石川県内の被害 3月19日時点
死者は241人、負傷は1188人に上る。石川県全体では8480棟の住宅が全壊。1万5281棟が半壊となっている。そして、住む場所を失った人など9080人が避難所での生活を余儀なくされている。

珠洲市では、申し込みを受けて4月から順次、全壊した家屋などの解体工事を進め、全国から作業員を集め復旧の加速化を図ることにしている。

水に関わる状況は変わらず
避難所で話を聞くと、一番困っていることは「水」という声が多くあった。この状況は、発災直後と変わっていないという。自宅に戻り生活している人も、避難所に設けられた給水車で水を確保していて、大切に使っている印象を受けた。

石川県では最大で約5万5000戸が断水し、現在でも七尾市・輪島市・珠洲市など5つの市で、合わせて1万3000戸あまりで断水が続いている。
珠洲市に取材をしたところ、主な原因は「漏水」で地中に埋まる水道管がいたるところで被害に遭い、工事が思うように進まないと話していた。

福島県からも応援
福島県の自治体も、これまで給水車を派遣し支援をしてきたが、今後は水道管の応急復旧工事に工事に当たる予定だという。
今後続く復旧には、長い時間が見込まれるので、継続して長期に渡る支援が求められる。

先が見通せない不安の中で、被災地は本格的な春を迎えようとしている。
(福島テレビ)