邪馬台国時代の有力者の墓とみられる「石棺墓」など大きな発見が相次いだ吉野ヶ里遺跡のいわゆる“謎のエリア”。注目されるのは「青銅器の鋳型」。青銅器の“生産地点”が発見されるのは大変珍しいという。

「邪馬台国九州説」のきっかけに

1989年、吉野ケ里遺跡から弥生時代の大規模環壕集落を発見
1989年、吉野ケ里遺跡から弥生時代の大規模環壕集落を発見
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1989年2月、弥生時代の大規模な環壕集落が発見されたことから「邪馬台国九州説」立証への期待が高まるきっかけとなった佐賀県の吉野ヶ里遺跡の発掘調査。その意義について専門家は次のように語る。

佐賀県文化財保護・活用室 長崎浩係長:
吉野ヶ里遺跡は弥生時代全時期を通して生活の様子が分かる、集落の変遷や墓域の変遷などが分かる遺跡

“大きな発見”相次ぎ注目

38年間の本格調査で大きな発見相次ぐ
38年間の本格調査で大きな発見相次ぐ

本格的な調査の開始からこれまで38年間の成果は大きい。
弥生時代前期の土器や稲作文化に関わる発見のほか、弥生時代中期、当時最先端だった青銅器生産に関する出土品。そして弥生時代後期、いわゆる邪馬台国時代の集落構造「クニ」の存在を想起させる集落の跡など大きな発見が相次ぎ注目を集めてきた。

吉野ヶ里遺跡「謎のエリア」とは

「謎のエリア」の発掘調査始まる・2022年5月
「謎のエリア」の発掘調査始まる・2022年5月

吉野ヶ里遺跡には発掘調査が行われていない「謎のエリア」と呼ばれる場所があった。
それは吉野ヶ里歴史公園内の日吉神社があった場所だ。

神社の移転を機にその跡地に調査が入ることになり、2022年5月、いわゆる「謎のエリア」の発掘調査が始まった。

専門家はその「謎のエリア」について次のように説明する。

佐賀県文化財保護・活用室 長崎浩係長:
吉野ヶ里遺跡の中でも、丘陵の高い部分で見晴らしが良くて大変良い条件の場所に存在している。また、大きな集落の中核部分、北内郭に近いという条件もある

邪馬台国時代の有力者の墓

有力者の墓とみられる弥生時代後期の「石棺墓」発見・2023年6月
有力者の墓とみられる弥生時代後期の「石棺墓」発見・2023年6月

「謎のエリア」の発掘調査が始まって1年余りが経った2023年6月。大きな発見が全国の注目を集めた。

それは、邪馬台国時代の有力者の墓とみられる弥生時代後期の「石棺墓」。
“卑弥呼の墓”ではないかと期待されたが、人骨や副葬品は発見されず“邪馬台国九州説”を裏付けるものとはならなかった。

国内最古級の「青銅器の鋳型」

「謎のエリア」の発掘調査による貴重な発見は石棺墓だけではない。

弥生時代の社会構造を解き明かす可能性を持つとして注目されているのが、青銅器の鋳造が行われていたと推測できる国内最古級の「青銅器の鋳型」。
佐賀県文化財保護・活用室 長崎浩係長は、「弥生時代中期は青銅器生産が始まる先駆けの状態(時代)」と鋳型発見の価値について語る。

青銅器“生産地点”の発見は貴重

これまで発見されていた青銅器の生産地点から約1キロ離れた「謎のエリア」での生産地点の発見。国内では青銅器自体の発見も珍しいが、“生産地点”が見つかるのはさらに珍しく、大変貴重な発見だという。

“弥生時代の社会”解明の可能性も

青銅器の“生産地点”発見は何を物語るのか…。

青銅器をつくることができる技術を持つ2つの集団がいたのか?
それとも何らかの原因で移動した、または移動させられたのか?

その謎が解明されれば、獣を刈る狩猟から一定の場所に安定して住む稲作へと文化が移り変わった弥生時代の人々の生活を紐解くことができるかもしれないと専門家は発掘の成果を評価する。

吉野ヶ里遺跡「謎のエリア」の発掘調査の計画は約2年間で、2024年3月で終了する予定だが、佐賀県は調査の延長も検討している。

(サガテレビ)

サガテレビ
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