またひとつ、昭和のスーパーが姿を消した。長崎市中心部で長い間親しまれた総合スーパー「S東美」がビルの老朽化のため解体されることになり、2月末、58年の歴史に幕を下ろした。前身の衣料品店から100年以上にわたり街に活気と娯楽をもたらしてきたスーパーの歴史をたどる。

惜しまれつつ…迎えた"最後”の瞬間

食料品や衣料品などを取り扱う長崎市の総合スーパー「S東美」の最後の営業日。2月29日、閉店時間が近づくにつれ常連客や取引業者など別れを惜しむ多くの人が詰めかけた。

”最後”の閉店を見守る客や関係者たち
”最後”の閉店を見守る客や関係者たち
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長崎市民(80代):子供のときから来ていた(店が閉店すると)不便。どこで買い物しようかなと思っている

長崎市民(60代):長崎がどうなるんだろうと思って。老舗がみんな閉店して新しく変わってるでしょ。私たちは年齢が高いから寂しい

中には、感慨深そうに店を見つめる元従業員の姿もあった。

元従業員の男性
元従業員の男性

元従業員(60代):4年前に退職した。38年間お世話になった。最後に感謝の気持ちを伝えたいと思って来た

元従業員(80代):寂しい。昭和34年から勤めていた。私の青春時代の思い出

閉店の挨拶をする佐々木達也社長やスタッフ
閉店の挨拶をする佐々木達也社長やスタッフ

午後7時、「S東美」の運営会社「東美」の佐々木達也社長やスタッフが最後の客を見送った

社長・スタッフ:58年間ありがとうございました!

シャッターが下りる瞬間を多くの人が見守った
シャッターが下りる瞬間を多くの人が見守った

そして、多くの客や関係者に見守られながら入り口のシャッターが下ろされた。

はじまりは「雨カッパのお店」

閉店前の店の1階には、前身の衣料品店時代から1世紀以上にわたる歴史を振り返る約50点の写真が展示されていた。

写真を見つめる梅本和彦さん
写真を見つめる梅本和彦さん

懐かしさを胸に写真を眺めているのは、東美に39年務めている梅本和彦さんだ。

大正12年創業「佐々木防水布店」時代
大正12年創業「佐々木防水布店」時代

東美 梅本和彦 取締役総務部長:創業は、大正12年「佐々木防水布店」といって、ここに「佐々木の雨カッパ」と書いてあるが、雨合羽のお店から創業した

「佐々木本店」「佐々木百貨店」と名前を変え、1947年に衣料品を扱う「東洋美装店」をオープンさせた。

この「東洋美装店」が「東美」の名前の由来になっている。

東美 梅本和彦 取締役総務部長:今との違いはまず人の多さ。ものすごく活気があったし、エネルギッシュな感じがあった

昭和41年、1966年に現在の長崎市浜町に「S東美」がオープン。

「優良品が豊富で安い」をキャッチフレーズに、衣料品に加え、食料品から家電、寝具に至るまでを取りそろえると、多くの買い物客が詰めかけた。

被災しながらも救済のために…

長い歴史の中で、災難にも見舞われたこともあった。

1982年長崎大水害
1982年長崎大水害

1982年に起きた長崎大水害だ。長崎市を中心とした地域に発生した集中豪雨で、多くの建物で浸水被害や倒壊などが多発し、299人の犠牲者を出した。

東美の地下も浸水する被害が
東美の地下も浸水する被害が

長崎市中心部にあったS東美の地下も浸水した。

被災者救済のため行った牛乳の無料配布
被災者救済のため行った牛乳の無料配布

店は大きな損害を受けたが、水害の4日後にはスタッフが、被災した市民にパック入りの牛乳を配ったり、水に浸かり売り物にならなくなった衣料品などを配ったという。

“寅さんを見に” S東美へ

S東美は、長崎市民の娯楽の場所でもあった。

オープンに先立ち昭和34年=1959年に映画館「長崎松竹」が誕生した。寅さんをはじめとする松竹映画や洋画など数多くの作品が上映され人気を博した。

しかし、設備の老朽化や市内に次々とシネコンがオープンすると、客足が遠のき2002年2月に閉館した。

年末おなじみの風景も店の前で

店の前で行われていた年末恒例の「餅つき」
店の前で行われていた年末恒例の「餅つき」

年末に店先で行われていた餅つきは、師走のおなじみの光景だった。年末の恒例行事で、歳末商戦たけなわの商店街に威勢のいい掛け声が響いていた。

長崎市民の生活を長きにわたり支えてきた「S東美」。

ビルの解体時期は未定で、跡地の活用についてもいまのところ決まっていない。

(テレビ長崎)

テレビ長崎
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