全国にもファンが多い伝統工芸品「珠洲焼」だが、1月に発生した能登半島地震では甚大な被害を受けた。その珠洲焼と30年向き合ってきた1人の作家を追った。

30年「珠洲焼」を作り続けた作家

1月、雪が積もった石川県珠洲市正院町平床。地震で崩れた工房の様子を確認する男性の姿があった。珠洲焼作家の篠原敬さんだ。

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珠洲焼作家・篠原敬さん:
この辺がどうなっているのか、次の日来てみて分かった。目には入っていたけど、気にもとめなかった。珠洲の水道と電気が復旧しないと何もできないから、それからだね

「珠洲焼」を作り続けてきた篠原さん
「珠洲焼」を作り続けてきた篠原さん

篠原さんが直前まで作っていた作品は、150点余りが割れ、4カ月前に完成した窯は使うことなく崩れた。

最果ての地、珠洲市は海と山に囲まれた小さな町だ。篠原さんは、ここで「珠洲」の名前がついた焼き物「珠洲焼」を作ってきた。
珠洲焼は、平安時代末期から室町時代にかけて珠洲市を中心に生産され、一度は途絶えたが45年前、珠洲の人々によって再興されのが今の珠洲焼だ。

珠洲焼作家・篠原敬さん:
「波状紋」という昔のつぼがあって、波を表している。いつも目指しているのは、自分の心が落ち着く作品。人に向けてではなくて、いつも自分に向けてものを作っている

篠原さんは珠洲焼の素朴さにひかれ、30年作り続けてきた。

窯が崩れ…相次ぐ地震に葛藤も

そんな珠洲市で2022年に起きた震度6弱と2023年の震度6強の地震。篠原さんの窯は、地震のたびに崩れてしまっていた。

2023年5月、篠原さんは「今63歳でしょ。手も痛いし、息子でもやるっていうなら(窯の)直しがいがあるけど、直す意味あるのか」と語っていた。
しかし、葛藤しながらも篠原さんは、友人や珠洲焼ファンの助けを借り窯を作り直すことにした。

2023年8月、窯を作りながら篠原さんは「僕が焼き物をやめても20年、30年と若い人が使える、耐久性のある窯にしたいし、だから丁寧に組んである」と語った。

「今地震を受け入れている?」と尋ねると、篠原さんは「受け入れている。受け入れざるを得ない。地震は天災、自然災害、あらがうことはできない。また大きな地震がくる可能性が大きいっていう中で窯作るなんて、ここで暮らすのもそうだけど、受け入れることでしかない」とその胸中を語った。

窯は4カ月かけて完成した。

「また地震があったら…」大みそかの不安

2023年の大みそか。篠原さんは、2024年2月に控えた展示会に向け、作品作りに励んでいた。ラジオからは「世界中が、日本中がいい年になればいいですね」との声が聞こえてきた。

珠洲焼作家・篠原敬さん:
今年(2023年)は激動の1年やったね。しんどかったな、きょう窯、行きたくないって

妻・舟見有加さん:
行きたくないんだろうなっていうのはあった

珠洲焼作家・篠原敬さん:
レンガ積むのに腕も疲れて痛いし

そして篠原さんは「来年また地震があったらどうしよう」と、今後の地震を心配していた。

そんな篠原さんに、有加さんは「それはその時に考えればいい」と答え、篠原さんは「そうやな」とつぶやいた。

珠洲市から避難「また戻ってくる」

迎えた2024年1月1日、能登半島地震が発生した。珠洲市では103人が亡くなり、建物への被害は1万2000棟を超えている。

1月3日、篠原さんを尋ねると、近所の使われていなかった倉庫で生活していた。ろうそくで明かりを取り、寝るときは車の中に行くという。

その10日後、篠原さんは、珠洲市から140km離れたアパートに避難した。篠原さんは「久々にテレビが見られる」「水道水で手を洗うのは久々」と、うれしそうに話していた。

珠洲焼作家・篠原敬さん:
あした珠洲に帰って、2日間行ってまた戻ってくる。珠洲を捨てるわけではないから、仮設ができるまで、そこに入れるまでという気持ちだから大丈夫。落ち着いたね

銀座で展示会 被災免れた珠洲焼を出品

地震発生から1カ月が経過した。避難した先で、被害を伝えるテレビの映像を見た篠原さんは「珠洲に行くと、地震が自分のことのように感じる。ここにいると、ちょっと油断すると人ごとになってしまう。満ち足りているから」と語っていた。

ある日、篠原さんは取材に答えるため、被害を受けた珠洲市に戻った。
篠原さんは、「これが僕の役割だと思っている。あとは僕の気持ちの整理もある。こうやってインタビューに答えることで、少しずつ気持ちの整理がついて前を向ける」と語った。

篠原さんは2月、地震前から決まっていた展示会に参加した。東京・銀座 和光の会場に並んだのは、地震の被害を免れた、たった25点の作品だ。

訪れた人たちから「声もかけられなくて」「また踏ん張れよ」と声をかけられた篠原さん。「泣かさないでください」と、涙を拭った。
そして、「何もできなくてごめんね」と気遣われた篠原さんは、「そうやって声をかけていただけるだけでうれしい」と応えていた。

また、俳優の仲間由紀恵さんも訪れ、篠原さんに「ちょっとでもお顔が見られたらいいなって。でもまた(珠洲に)行きたいし、手伝いもしたい」と話しかけていた。

俳優・仲間由紀恵さん:
「寝てますか」って声をかけた気がする。「元気ですか」「寝てますか」って。でもそうすると、篠原さんがいつもの屈託のない笑顔で「元気です」って。珠洲の海辺の景色も本当によく覚えているし、思い出もたくさんある町なので、何かできることはないか、何ができるのかなって毎日考えている

珠洲焼作家・篠原敬さん:
自分以上のものを見せようという気持ちがあったりして、それが地震によって砕かれたから、冷静に自分を見ることができてよかった

「また始まるな」 動きだした“時間”

地震発生から2カ月。篠原さんは、珠洲市の工房で「きれいになったでしょ」「気持ちがすっきりした」と話した。

珠洲焼作家・篠原敬さん:
あっという間、何してたんだって思うくらい。でもこれですっきりした、あとはまきの片付けをしないと

その後、工房の電気も復旧した。ともった明かりに篠原さんは、「明るいね、こんなに明るかったかな」と感激していた。
そして、「珠洲焼」を作るのに必要な“ろくろ”も回り始めた。

篠原さんは「だんだん思い出してきた、その時のこと。多分こうやっていたんだろうね、ぐらっと来て、ただ事ではないと外に逃げ出した」と、地震発生時のことを語った。

回り出したろくろを見た篠原さんは、「時が動き出したって感じ、また始まるな」と語った。

(石川テレビ)

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