脳へのダメージの後遺症で、言葉を理解したり、発したりすることが難しくなる障がい「失語症」を32歳で発症した女性が仙台市内にいる。患者の多くが中高年だが、女性のように若くして発症するケースがあるこの障がいについて、女性は「多くの人に知ってほしい」と訴える。
突然、脳梗塞で…32歳で失った言葉

仙台市内に暮らす、鈴木美穂さん(37)。5年前の32歳の時、脳梗塞により職場で突然倒れた。脳の左側の一部を損傷した後遺症で、右半身がまひ。言葉を思うように表現できない『失語症』を発症した。

幼い頃から、大好きだったピアノは、今、まひが残る右手のリハビリ代わりに弾いている。
「何で弾けないの?という、悔しい思いでいっぱい」と、美穂さんは苦しい胸の内を明かしてくれた。
全国で50万人の患者 「何で私なの」

「失語症」とは、脳の、言葉に関する働きを担う「言語中枢」が損傷されて起こる障害で、「話す」、「話を聞いて理解する」、「読む」、「書く」ことが難しくなる。原因の90%以上は、「脳卒中」。失語症の当事者の人数は、全国で約50万人と推定されている。
発症前は、人と話すのが大好きで、営業の仕事にも就いていた美穂さんだが、生活は一変。周囲に失語症であることを打ち明けた際、「失語症を知らない」という人がほとんどだった。

発症から約1カ月後に受けた、イラストの名前を答えるリハビリでは、「犬」のイラストを見せられて「猫」と答え、「飛行機」のイラストは「新幹線」と答えるなど、頭ではそれが何か理解していても、別の言葉が出てくる状態になっていた。

美穂さんは当時のことを「失語症は、物を話せなくなることかなと思っていた。しかし、物の名前が書けない、言えない。何に対しても表に出せない気持ちでいっぱいになり、何で言葉なの?何で私が言葉を失ったの?と思った」と、時折声を詰まらせながら話した。
話せないだけではない「バスの車内では…」

発症から5年がたった今も、美穂さんは月に一度リハビリに通っている。言語聴覚士と一緒に、言葉を発することや、書くことのリハビリを行い、少しずつ話せるようになっているが、頭で分かっていても、別の言葉を書いてしまうなどの症状が今も見られる。
また、美穂さんの右の手足には今も、まひが残っている。交通機関を利用する時は特に緊張し、立ってバスに乗っていると、座りたくても言葉が不自由だから何をどう話せばいいか分からず、クラクラして倒れてしまいそうになるという。

だからこそ美穂さんは、「ただ単に話せないというだけでなく、失語症にはいろいろな障がいがあるということを分かって欲しい」と訴える。
「働くこと」を支えに 会社もバックアップ

今、美穂さんの心の支えは、「働くこと」。退院後、職探しを続け、3年前に建設会社に就職。経理課で働いている。請求書の数字の打ち込み作業などを丁寧にこなしているが、最初は2桁しか覚えることができず、苦労した部分もあった。「今は3桁、4桁にもチャレンジしている」と前向きだ。

会社の上司は美穂さんと会う前、「失語症を全く知らなかった」というが、美穂さんと接する中で、症状について聞きながら、できることからやってもらうようにしているという。
募る仲間 悩み共有し「失語症を学びたい」

そして、美穂さんは1月、自分と同じ、10~40代の若い失語症の人たちが交流する会を立ち上げ、SNSで仲間を募っている。会の名前は「デパーチャー」(出発)。その背景には、美穂さん自身も、同じような悩みを持つ仲間と知り合い、悩みを共有しながら、「失語症についてもっと勉強したい」という思いがあるという。

美穂さんは「ただお茶をする会にすることもできるし、恋愛話や何気ない日常の会話をしたい。私も少し前まで、発症して一年あまりで閉じこもってしまいそうになったから分かるのですが、一歩踏み出せれば『失語症はこんなんです』と堂々として言えるかなと」と、自らの新たな出発について目を輝かせながら話した。
患者の多くは中高年だが、美穂さんのように若くして発症するケースもあるという「失語症」。懸命にリハビリに励む当事者が多くいること、そして就労など、周囲のサポートと理解があれば、当事者ができることはもっと広がることを知ってほしい。
(仙台放送)