タイの最も貧しい地域にある学校で、生徒たちが貧困から抜け出すために奮闘する日本人の教師がいる。地元での仕事は農業と林業しかなく、卒業しても就職先のない生徒が大多数という学校で、「貧困から抜け出すための道具」として日本語を教えている。

日本語は闘う武器

「マーニー、レオ、レオ、プラカー、ドゥワイ(早くこっちに来て、発表しなさい)」。ミャンマーと国境を接するタイ北西部のメーホンソン県。この地域にある学校の教室から、カタコトのタイ語が聞こえてくる。声の主は蔭山修一さん(67)だ。蔭山さんは、この県でたった一人の日本人の教師として10年間、日本語を教えている。

クンユアムウィタヤー校で日本語教師として勤務する蔭山さん
クンユアムウィタヤー校で日本語教師として勤務する蔭山さん
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「あ」や「愛」など習字の文字が貼られた教室では、生徒たちがカルタの争奪戦で大盛り上がりしていた。生徒たちの9割はカレン族やシャン族など、タイの少数民族の子供たちだ。

蔭山さんは「ここで生まれた子供たちは将来が決まっちゃってるんですよね。将来のための闘う武器、一つのツールとして日本語を教えている。」と話す。

ミャンマーと国境を接するこの県は、ほとんどが山岳地帯で、農業や林業以外に仕事はない。人口の4人に1人が月収1万2000円以下で暮らす「最貧県」で、この割合は全国平均の4倍に上る。

山岳地帯にあるカレン族の村
山岳地帯にあるカレン族の村

卒業しても地元に就職先はなく、都会に出ても少数民族の生徒たちは職業選択の幅が限られ、建設現場や工場などでの単純労働につく場合が多いという。蔭山さんは職業選択の幅を広げようと、日本語を教える取り組みを続けている。

多くの生徒を日系企業に導く

蔭山さんの学校では、日本語の授業は選択制で、現在中学3年から高校3年までの25人が履修している。取材した日は高校1年生への授業が行われていて、生徒たちが自分の家族について、「父」や「母」など習ったばかりの単語を使って発表していた。

習った日本語を使い発表する生徒たち
習った日本語を使い発表する生徒たち

神戸市出身の蔭山さんは長年、外資系企業の日本法人で働いていたが、2010年にボランティアでこの学校を訪れ、教師になることを決意。早期退職して2014年に日本語の教師としてここで働き始めた。

これまでに100人以上の生徒に教え、20人近くを日系企業の仕事に導いてきた。日本企業のタイ法人で通訳として働いたり、日本で介護職に従事したりする教え子もいる。生徒たちの将来の選択肢を広げている蔭山さんだが、教師生活は「あくまで老後の趣味です」と話す。

見えてきた帰国 支援は学校の外にも

ただここに来て懸念も出てきた。蔭山さんはこの春、家庭の事情のため日本に帰国することになったのだ。残り少ない教師としての期間のなかで、生徒たちへの支援にも一層力を入れる。

この日、向かったのは元教え子のタンヤポーン レックプラカイさん(21)の実家。学校から車を走らせると、途中から道の舗装はなくなった。でこぼこの土の道や川の中を進んでいく。1時間半ほど走ると、突然30世帯ほどの集落が現れた。タンヤポーンさんの実家のある村だ。

タンヤポーンさん(左)の実家 両親と居間でくつろぐ
タンヤポーンさん(左)の実家 両親と居間でくつろぐ

ここはカレン族の暮らす村で、一つ山を越えるとミャンマー国境という奥地にある。電気や水道は通っていない。携帯電話もつながらない。タンヤポーンさんの両親はミャンマー国籍のため、タイでは就労ができず、農業で生計を立てているが、収入は限られ不安定だという。

タンヤポーンさんは学ぶ意欲があったものの、家が貧しく進学をあきらめていたが、蔭山さんが費用を工面し、タイ東北部の大学に進学することができた。

大学では政治学を学ぶタンヤポーンさん
大学では政治学を学ぶタンヤポーンさん

「勉強が続けられるとは思っていなかったけど、先生が助けてくれた」と話すタンヤポーンさん。今は政治学を勉強していて、将来は「この県の知事になって、みんなを助けたい」と夢を語ってくれた。

タイの僻地に広がる日本語の輪

さらに蔭山さんは後進の指導にも力を入れている。取材した日、一緒に授業をしていたのは地元のカレン族出身のジン先生だ。ジン先生は、蔭山さんについて「とても熱心で、文化や食べ物など教科書以外の色々なことを教えてくれる」と話していた。これから1人で授業を受け持つことに不安を感じつつも、蔭山さんの思いを引き継ぎ、日本語教室を盛り上げていきたいと思っている。

ジン先生と蔭山さん
ジン先生と蔭山さん

また、近くの学校では教え子が日本語教師になり、いまは60人ほどの生徒たちに日本語を教えている。10年間かけてまいてきた種は、実を結びつつあるようだ。

蔭山さんに帰国するのはどんな気持ちか聞いてみたところ、「やっと終わって、清々しますわ」という答えが返ってきた。

ただ、そんな言葉とは裏腹に、春以降も定期的に学校を訪れ、生徒たちの支援を続ける計画をすでに立て始めている。貧困の連鎖を断ち切ろうと取り組む蔭山さんの奮闘はまだまだ続きそうだ。

池谷庸介
池谷庸介

FNNバンコク支局 特派員