富山県にも大きな被害をもたらした能登半島地震から1カ月。応急危険度判定で要注意となった自宅に住み続ける男性がいる。不安を抱えながらも自宅を再建し、住み慣れた土地で生きていく決断をした。

「どうしていいもんか…泣きたい」

地震から1週間が経った1月7日。

氷見市の山間の地区で、壊れた自宅で生活を続ける男性に出会った。

澤田佳嗣さん
澤田佳嗣さん
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澤田佳嗣さん:
「家は片付けて一応入れるんですけど、余震で揺れるので。大事なものがあるのでそれが盗まれたりするのも嫌だし、ずっとおった家だし…」

60代の父と2人で暮らす澤田佳嗣さん(46)。

地震発生時、2階の自分の部屋にいた澤田さんは慌てて父に声をかけ、強い揺れでゆがんだ玄関からの避難をあきらめ、窓から外に飛び出した。

幸い2人にケガはなかったが、築50年の自宅は基礎がずれ、壁の至る所に亀裂が入っていた。屋根の瓦も落ち、特に2階は激しく損傷していた。

駆けつけてくれた友人の手を借りて、壊れた家具などを下すと、屋根裏が見えるほど壁が大きく崩れていた。

澤田佳嗣さん:
「ぱっと見は大丈夫だけど、家の基礎がずれとったり、配管も漏れとったり、どうしていいもんか、泣きたいですよ」

被害は拡大 続く火を使わない生活

1月23日。再び澤田さんのもとを訪ねた。

澤田佳嗣さん:
「少しずつ、ほんの少しずつですけど、ひびが入ってきて、浮き上がった(部分が)余震で少しまた崩れたりしている感じですからね。生活に関しては水も来ているんですが、どこか多分漏水してて、1回ずつ使う時に元栓開けて使って閉じる、そんな生活しています」

地震から3週間が過ぎたが、地震が起きるたびに壁の亀裂は大きくなり、ブルーシートをかけた屋根からは雨漏りが発生していた。

澤田さんは地震後、玄関までの動線を確保した上で、居間のひと部屋だけを使い、父の欣和さん(65)と2人、身を寄せ合って暮らしている。

澤田欣和さん
澤田欣和さん

澤田欣和さん:
「3週間これで寝てた。(揺れたら)来たーって起きてささっと。ポケットには靴下。足冷たいの嫌だからポケットにずっと靴下入れて。こうやって寝てる。(逃げるときはそばにあるカッパを)持って外へ出るわけよ。貴重品が入っている」

いつ地震が来ても逃げられるように、2人は時間をずらして寝たり、食事も万が一を考え、なるべく火を使わず、友人から差し入れてもらった非常食を食べる日々を過ごしている。

電子レンジで温めたレトルトカレーを食べる2人
電子レンジで温めたレトルトカレーを食べる2人

「僕はここがすごく好き」

地震から1カ月。澤田さんたちはある決断をした。

澤田欣和さん:
「俺はもう潰すってもう決めとるから。小さいプレハブでも何でもいいね。」

澤田佳嗣さん:
「り災証明で判定出ないとわからんし、その金額も度合いによって違うし。どこどこ今やっているから、その地区はいついつ頃ですよくらいの情報は欲しいね。それがみんな安心すると思う」

澤田さんは、自宅を建て直すことを決めた。

しかし、り災証明がいつ発行されるのか目途が立たない現状。自宅で仕事をする澤田さんは仕事道具などもあり、建て替えの時に必要な仮住まいの確保にも不安を抱えている。

それでも、この土地で住み続ける理由がある。

澤田佳嗣さん:
「僕はここがすごく好き。ほんと好き。住むところがしっかりしていて、最低限安心できるところが一番今は欲しいですね。何も気にせんと寝られて、ご飯食べられて。ずっとどうすればいいのかなっていう気持ちでずっと今もいます」

先行きが見えない中、澤田さんは再びこの地で、自宅を再建する希望を抱き、日々を過ごしている。

自宅再建のめどが立たずもどかしい日々を送る澤田さんだが、趣味の音楽やバイク仲間が、片付けを手伝ってくれたり、3月3日に能登半島地震復興支援となるチャリティイベントを企画していて、「人のつながり」に今は支えられていると話していた。

氷見市によると1月31日現在、り災証明書の申請数4930件のうち、発行されたのは住宅で939件と全体の19%程度となっている。

(富山テレビ)

富山テレビ
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