2024年はパリ大会が開催されるオリンピックイヤーだ。1月時点、長崎県出身で唯一“パリ”への出場を決めている柔道の永瀬貴規選手。単独インタビューで語ったのは自らを奮い立たせるための強い決意だった。

パリで連覇を…長崎が生んだ柔道家

2023年12月、永瀬貴規選手(30)の姿は長崎・諫早市にある母校、長崎日大高校にあった。

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道着姿で後輩とデモンストレーションを行い、ふるさとでの息抜きの時間を過ごした。

永瀬選手は長崎市出身で、足技を武器に初めてのオリンピックだった2016年のリオデジャネイロ大会で銅メダル、2021年の東京大会では悲願の金メダルを獲得した。柔道界で最も激戦とされる「男子81kg級」のエースとしてパリ大会も内定し、日の丸を背負う。

柔道81kg級・永瀬貴規選手:
(東京五輪後)休んだ時間もあったが、振り返ったときにもう一度、感動や喜びを味わいたいという気持ちもあった。やはり色々な方に報告する中で「パリでの連覇を」という言葉をいただきながら、自分のためにも周りの方のためにもという思いがあったので、またパリに向けて頑張ろうという思いになった

栄光の金メダリスト 苦悩を明かす

ところが東京オリンピック以降、世界柔道(2023年5月ドーハ)とワールドマスターズ大会(2023年8月ブタペスト)では3位、グランドスラム東京では3回戦敗退と、国際大会では頂点に立てていない。

東京五輪後、パリの内定を得た後、なかなか頂点に立てていない現状があるが、激戦の81kg級だからなのか、年齢による体の変化なのか、若手の台頭なのか、どの部分が大きいと永瀨選手は考えているのか聞いてみた。

柔道81kg級・永瀬選手:
本当に色々な要因があると思う。81kg級は海外の強豪選手も多くいるし、ルール改正も少なからずある。私も30歳と年齢を重ね、昔との感覚のズレが良くも悪くもあるので、その中でもいかに自分の現状で、この体で、1年後の体で勝つための準備に、試行錯誤して結果には出ていない状況ではあるが、生かすも殺すも自分次第なのであくまでゴールはパリだと自分に言い聞かせながら前を見て進んでいる状況

栄光の金メダリストが明かす苦悩に、母校の後輩で永瀬選手を取材した長崎日大高校新聞部員は「今まで乗り越えてきたことを聞いて、かっこいいと思った」と話し、永瀨選手に金メダルを取ってほしいとエールを送った。

柔道は?結婚は? 永瀨選手の転機

からだをぶつけ合う柔道で30歳と言えばベテランの域に差し掛かっている。競技の面でも、私生活の面でも、転機を迎えると思われる永瀨選手に、結婚等含めて、いまの考えを聞いてみた。

柔道81kg級・永瀬選手:
プライベートのことはなかなか話す感じではないが、やはりパリの強い部分は変わらないので、金メダルを取るためにこの30歳、多分色々な犠牲は出てくると思うが何かを成し遂げるためには、多少の犠牲はついてくると考えている。我慢というか、厳しい時期にはなってくると思うがそれとも向き合いながら過ごしていきたい

また、オリンピック連覇に向けて一番重要なことは何かと問うと、永瀬選手は「いかに最後は自分を信じられるか。大舞台になればなるほどそういった部分、気持ちの部分は影響してくると思う。多少の差かもしれないがきつい試合や大きな大会は、自分を信じる気持ちがエネルギーにもなる」と話す。

“我慢”の先に勝利あり!

最後に2024年の目標を書いてもらうと、「字を書くのは苦手」と苦笑しながらも“我慢”という言葉を書いた。

柔道81kg級・永瀬選手:
“我慢”。パリオリンピック金メダル連覇というのはもちろんあるが、それを達成するためにはつらい時間、厳しい時間、時には何かを犠牲にする時間も大切だと思うので「我慢」する時間も大切なのかなと思うので選んだ

そして、その「我慢」の先に光り輝く金メダルはあり、「金メダルを取れるようにしたい」と永瀨選手は話した。永瀬選手はリオ大会後の2017年、全治1年の右ひざの大けがを負った。そのときも「我慢」の連続だったが東京五輪の頂点をつかんだ。

永瀬選手が「我慢」の先につかめるものは。パリ五輪は2024年7月26日から8月11日まで開催される。(サッカー・ラグビーは7月24日、ハンドボールは25日から試合が行われる)

(テレビ長崎)

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