2023年10月7日、イスラム組織ハマスがイスラエル領を急襲した。世界に衝撃を与えたニュースは私が赴任しているトルコでも大きく報じられ、その後、私は2回現地で取材を行った。

人がいない街の様子やひっきりなしに飛んでくるロケット弾。死ぬかもしれないとも思いながら、何が起きているのかを必死で追いかけた約2カ月間を記録した。

底知れぬ恐怖…閑散とした街

10月9日、陸路でイスラエル最大の商業都市・テルアビブに入った。街は閑散としていて人通りは少なく、開いている店は4分の1ほどだった。

閑散としたテルアビブ市内(2023年10月)
閑散としたテルアビブ市内(2023年10月)
この記事の画像(8枚)

市民に聞くと、今後何が起きるのか予想できず、街中でテロが起こる可能性も考え、多くの人が外出を控えているとのことだった。レストランもオーナーが店を閉め、多くの会社がテレワークを推奨していたほか、会社によっては家族を第一に考えるよう社員に通知を出したところもあったという。

そのためか、街には日本にもあるフードデリバリーの「Wolt(ウォルト)」の配達員の姿が溢れ、家で退避している人たちに届けている姿が印象的だった。危険を感じて多くの人が自宅にいるなか、危険を顧みずにデリバリーをして金を稼ぐ、対称的な構図である。

日常の中にあるハマスのロケット弾攻撃

イスラエルでは、ハマスが撃ってくるロケット弾の恐怖が日常にある。攻勢を強めていたハマスは、ガザ地区から比較的離れているテルアビブにも多くのロケット弾を撃ってきていて、取材中にも、1日に3回飛んできたことがあった。

ハマスが発射するロケット弾(ハマスのSNSより)
ハマスが発射するロケット弾(ハマスのSNSより)

ロケット弾がガザ地区から発射されると、その角度や速度からイスラエル軍が落下地点を瞬時に予測する。テルアビブが標的だと分かると、登録している警報アプリのけたたましいサイレンの音がスマホから聞こえるのと同時に、街中に空襲警報が鳴り響く。

テルアビブで警報が鳴ると、1分から1分半ほどで必ずロケット弾が飛んでくる。日本のJアラートは、落下する可能性もしくは上空を通過する可能性がある場合に発令されるが、イスラエルでは警報が鳴ると「必ずロケット弾が落下してくる」のが大きな違いだ。

テルアビブ市内にあるホテルの地下シェルターに避難する人々(2023年12月撮影)
テルアビブ市内にあるホテルの地下シェルターに避難する人々(2023年12月撮影)

そのため、市民は必ず退避行動を取る。テルアビブの場合は、落下までに比較的時間があるのでシェルターに避難する。多くのホテルには地下にシェルターが設置されていて、みんな「またか」という表情で階段を降りていく人がほとんどだ。

しかし、なかにはハマスの襲撃によってイスラエル南部から避難してきた人もいて、実際に避難してきていた年配の女性は度重なる攻撃におびえ、シェルターで泣いていた。一方で、われわれ海外メディアに「Welcome to Tel Aviv」「これが現実だよ」と伝えてくる人もいた。それくらい、外国人にとっての“非日常”は彼らの“日常”なのだ。

安全な場所への避難を住民も誘導してくれる

空襲警報はもちろん取材中にも容赦なく襲ってくる。ホテルにいれば地下のシェルターに行けばいいが、外ではそうはいかない。1回は住宅街を車で走っている際にけたたましくサイレンが鳴り、イスラエル人コーディネーターに導かれるように近くの集合住宅に入った。中は内階段があり、内側に部屋の扉が付いている形だ。

空襲警報時に内階段に避難する住民(2023年10月)
空襲警報時に内階段に避難する住民(2023年10月)

住民たちは家の中から内階段の方に出てき始めた。この集合住宅では外側はロケット弾の攻撃にさらされるが、威力を考えるとコンクリートで頑丈な建物自体が倒壊する恐れは少ないため、内階段にいれば安全を確保できるとしてシェルターの代わりになるという。

住民は外からきた部外者の私たちも快く受け入れ、安全な場所に誘導してくれたほか、「大丈夫」と心を落ち着かせるような言葉もかけてくれた。互いが助け合わなければ、生活もできないということを実感した瞬間だった。

ロケット弾も届かない即席の地下配送センター

近くのショッピングモールに行くと、通路には多くの服があふれていた。これらはイスラエル南部から避難してきた人たちや、戦闘をしている兵士に対して寄付された品物だという。また、海沿いの地下駐車場には、寄付された支援物資の配送センターが作られていた。働いている人はボランティア、詰めている品物は寄付によるもの、物資を詰めるために必要な箱は大手サンドイッチチェーンなどが無償で提供しているという。商品によって仕分けされ、必要な物を必要な場所に届けるシステムがすぐに構築されていたのが驚きだ。

地下駐車場の支援物資の配送センター(2023年10月)
地下駐車場の支援物資の配送センター(2023年10月)

ハマスの戦闘員がイスラエル領に潜伏して戦闘を行っているなど、イスラエル南部は決して安全とは言えない場所であったが、前線基地である南部の兵士にも物資を届ける必要がある。そうした場所では、ボランティアの中でも退役軍人が率先して支援物資を運んでいるという。イスラエル人の結束力の固さを感じた。

マシンガンを持ち、バーで歓談する市民

こうしたなか、街には少しずつ人が増えていった。イスラエル軍とハマスの戦闘自体は続いていたが、テルアビブまで戦闘区域が拡大することはなく、街の中でテロも起きていなかったからである。戦闘開始から1週間経った10月中旬頃には営業を再開する店も徐々に増えてきた印象だ。街が元の姿を取り戻そうとしていた一方、大きな変化があったのが、武装した市民が増えたことだった。

テルアビブ市内でマシンガンを所持する一般市民(2023年12月)
テルアビブ市内でマシンガンを所持する一般市民(2023年12月)

マシンガンを肩にかけて恋人と歩いている男性などがいたが、彼らは決して警察や軍の関係者ではなく、一般市民だ。ハマスの戦闘員がいつ襲ってくるのか分からないという思いから、イスラエルではハマスとの戦闘以来、銃が飛ぶように売れているのだ。なかにはカップルの2人ともマシンガンを持っている人もいるほどだ。

イスラエルでは男性は3年、女性は2年の兵役が義務づけられているため、多くの人が銃の取り扱いに慣れているということも理由にあげられる。とはいえ、横にマシンガンを持っている人がいるのはさすがに怖い。この人が何か勘違いをしただけで、私も含めて多くの人が一瞬で死ぬ可能性があると考えると落ち着くこともできなかったが、市民はいたって普通だった。

警報から15秒ほどでロケット弾が落下

取材ではガザ地区周辺の街にも向かうことも必要になる。ガザ地区北部から10キロほど離れたアシュケロンは、テルアビブよりも距離が近く、簡易なロケット弾でも届くこともあり、頻繁に攻撃されている街である。住民の多くは別の街に避難している一方で、まだ住み続けている人もいる。その人たちがどのような思いを抱き、ガザ地区周辺の街で過ごしているのかを取材するため、防弾チョッキとヘルメットを準備して私たちは向かった。そうして車でアシュケロンの街に入った瞬間、空襲警報が鳴った。

アシュケロンで空襲警報が鳴り、道ばたに伏せる筆者(2023年10月)
アシュケロンで空襲警報が鳴り、道ばたに伏せる筆者(2023年10月)

テルアビブと違い、アシュケロンは警報から15秒から20秒でロケット弾が落下してくる。シェルターに行く時間はない。すぐに車を止めて、全員が車を飛び出し、道ばたに伏せるしかない。

私もすぐに車から降りてその場に伏せると、しばらくして大きな音が街中に響いた。ロケット弾をイスラエルの対空迎撃システム「アイアンドーム」が撃ち落とした音だ。思わず「こわっ!」と声が出てしまうほど、真上で大きな音が響く。テルアビブとは全く違う怖さだった。

「アイアンドーム」のお陰で事なきを得たが、ひとつ大きな失敗を犯していたことに後で気づいた。慌てて車のそばに伏せたが、仮にロケット弾が車を直撃した場合、爆発するため、車のそばにいてはいけなかったのである。イスラエルの人たちは車から離れた道ばたに伏せていて、それが正解だという。

その後も、私は恐怖を覚えながらも、アシュケロンに住み続ける人を取材した。ある市民は「ハマスに攻撃されたからといって自分の土地から逃げることはしない。政府は武器を俺になぜ配らないのか」と興奮した様子で答えた。そこには、ハマスの攻撃による危険にさらされながらも、強い思いを持ってそこに居続ける市民の姿があった。
(FNNイスタンブール支局長 加藤崇)

加藤崇
加藤崇