1966年に静岡県で起きた“袴田事件”をめぐり、犯人とされた袴田巖さんの無実を信じ、弁護団とともに闘い続けている女性がいる。姉のひで子さん、御年90歳。以前と比べ耳の聞こえは衰えたものの、ハキハキとした物言いは健在だ。

再審まもなく 弟支える姉・ひで子さん

“袴田事件”とは、1966年6月に静岡県清水市(現在の静岡市清水区)で一家4人が殺害され、元プロボクサーの袴田巖さんが死刑判決を受けた事件のことだ。

ボクサー時代の袴田巖さん
ボクサー時代の袴田巖さん
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だが、袴田さんは一審から一貫して無実を訴えていて、発生から57年が経とうとしていた2023年3月に裁判のやり直しを勝ち取った。日本の司法制度において死刑判決が確定した事件をめぐる再審は過去に4例しかなく、いずれも無罪が言い渡されている状況下で袴田さんの再審公判は10月27日に始まる。

袴田さんの姉・ひで子さん
袴田さんの姉・ひで子さん

こうした中、弁護団とともに袴田さんを支えているのが姉・ひで子さん(90)だ。9年前に袴田さんが東京拘置所から釈放されて以来、浜松市の自宅で一緒に生活している。

第一報は当時のテレビニュースで

当時、巖さんとは別の場所で暮らしていたひで子さん。事件についてはニュースで知ったという。「テレビを見ていたら“こがね味噌”というから、巖がいるところではないかと思って電話をかけた」そうだ。また、数日後に顔を合わせた弟はいつもと変わらぬ様子だった。

事件現場となった味噌製造会社の専務宅
事件現場となった味噌製造会社の専務宅

ところが事件から49日後、袴田さんは警察に逮捕された。ひで子さんは「なにがなんだかわからず、ずしんと重いものを背負った気分になった」と振り返る。

捜査当局による取り調べは想像を絶するほど過酷なものだった。それゆえ、袴田さんは勾留期限間際に“自供”を始めてしまう。袴田さんの母親は息子の逮捕以来、寝こみがちだったため、自供を知ったひで子さんは「急いでテレビやラジオを消した」という。そして、しばらく経ってから自供のことを伝えると、ポツリ「世間を狭く生きるしかないね」と言われた。

時に33歳。「縁談もなかったわけではない」ものの、一人でいようと決めた。

1968年9月。静岡地裁は「自白の獲得に汲々として物的証拠に関する捜査を怠った」「本件ごとき事態が二度と繰り返されないことを希念する」と付言しながらも、袴田さんに“死刑判決”を言い渡した。

死刑判決直後に母が死去 酒浸りの日々

その約2カ月後、母親が死亡。心労が重なったことが大きかった。

袴田さんの無実を信じ続けた母・ともさん
袴田さんの無実を信じ続けた母・ともさん

一緒に袴田さんを支えてきた片腕を失ったひで子さんは酒に頼った。この時のことについて、以前「夜中に目が開いて『どうして巖がこうなっちゃったのか?』と思うと寝られなくなってしまう。じゃあ、お酒でも飲んで寝ましょう、と。それにはそれなりの葛藤はあった。だけど、そうでもしないことには生きていけなかった」と話してくれた。

判決は東京高裁、そして最高裁でも覆ることなく袴田さんの死刑が確定。ひで子さんは言う。「みんな敵に見えた。弁護士も支援してくれる人も、みんな敵に見えた」と。

ただ、ほどなくして日本弁護士連合会が「袴田事件委員会」を設置すると、各地で“袴田さんを救う会”が開かれ支援の輪が次第に全国へと広がった。これに勇気をもらったのが他でもないひで子さんだ。それまで「人に顔を見られたくないと思って夜に買い物に行っていた」と人目を避けるように生活していたが、弟の無実を証明するため人生を捧げることを決めた。

支援集会に参加するひで子さん
支援集会に参加するひで子さん

支援集会に顔を出して袴田さんが獄中から寄せた“叫び”を訴えるとともに、毎月のように自宅のある浜松市から袴田さんが収監されている東京拘置所へと通い励まし続けた。同時に、袴田さんが帰ってくる“その日”に備え、昼も夜も懸命に働く日々。

一度目の再審請求が棄却されても下を向くことはなかった。

一方で、死刑執行におびえながら過ごす長期間の拘置所生活は袴田さんの心をむしばみ、徐々に精神状態に異変が見られるようになった。

拘禁症で変わりゆく弟 それでも…

2007年冬。ひで子さんは弟の“拘禁症”を受け止める覚悟を決めた。その日、いつも通り東京拘置所へと足を運んだひで子さんの前に現れたのは、目がうつろで、生気のない表情をした袴田さんだった。同席した支援者によれば、袴田さんはひで子さんに対し「メキシコ婆」などと、ひどい言葉を浴びせたという。

袴田さんとの面会に向かうひで子さんや支援者(2012年)
袴田さんとの面会に向かうひで子さんや支援者(2012年)

2010年頃からは面会を拒絶されるようになったが、来る日も来る日も通い続けた。変わりゆく弟の様子に心を痛めなかったわけはないが、ひで子さんは「私はどうってことはない、電車に乗って行けばいいだけのこと。家族は見捨てないということの連絡。そのために会えても会えなくても行っていた」と話す。

地裁の決定で弟は釈放 再審公判へ

二度目の再審請求の結果、静岡地裁は2014年3月に再審を認めるとともに、「これ以上拘置を続けることは耐え難いほど正義に反する」として袴田さんの釈放を決定。ひで子さんは48年ぶりに弟の手を握り「なんか不思議な気持ちで夢でも見ているような気持ち」と喜んだ。

東京拘置所から釈放される袴田さん(2014年3月)
東京拘置所から釈放される袴田さん(2014年3月)

2018年には検察側の抗告を受け一度は再審開始の決定が取り消されたものの、2023年3月に東京高裁が再び裁判のやり直しを認め、検察側が不服を申し立てなかったため再審公判は10月27日から始まる。

33歳の時に弟を逮捕されたひで子さんは90歳になった。以前と比べ耳の聞こえは衰えたが、それでも年齢を感じさせないハツラツとした姿は相変わらずで「弟を助けるということが根本にあるから元気でいないとしょうがない。歳なんかとっていられない」と笑顔を見せる。

最近、ひで子さんにはやりたいことが出来た。それは無罪を勝ち取った後に弟と世界一周旅行をすることだ。「実現できるかどうかはわからないが、希望としては持っている」そうだ。

弟の無実を信じ続けたひで子さん。

「57年闘って来たのだから、これでおしまいになると思うと本当にやれやれ…裁判だからと慌てふためくことはなく一生懸命闘うしかない」

“普通”の姉と弟に戻れるその日まで。ひで子さんは前だけを向き続ける。

(テレビ静岡)

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