全国一の生産量を誇る宮城のホヤ。東日本大震災による原発事故の影響で海外への販路が絶たれ窮地に立たされる中、消費を支えたいと奮闘する男性がいる。目指すのは「ホヤのブランド化」だ。
この記事の画像(16枚)「七夕ぼや」をプロデュース
9月某日、仙台市中心部の公園で開かれたイベントで、人気を集める1台のキッチンカーがあった。メニューを見てみると「ホヤ唐揚げ」に「ホヤチーズ春巻き」「ほやピクルス」…。
全てホヤを使った料理だ。
販売しているのは佐藤文行さん(63)。
料理に使われているブランドホヤ「七夕ぼや」の名付け親で、消費拡大に奔走している。
収獲の際に引き上げる養殖棚が「仙台七夕まつり」の吹き流しと似ていることから、その名がついた七夕ぼや。臭いやえぐみがなく肉厚な身が特徴で、注目すべきは処理されるまでのスピード。
午前に水揚げされたホヤは、そのまま加工場に運ばれ、すぐさま下処理、急速冷凍される。水揚げから半日かかることなく「七夕ぼや」の完成だ。
「ホヤのおいしさのピークは水揚げし、その場でむいたもの」と話す佐藤さん。
ホヤを集中的に収穫し即日冷凍処理したものを商品として売り出す、独自の方法にチャレンジした理由は、「ホヤ本来のおいしさを多くの人に知ってもらいたい」そんな思いからだった。
ホヤ販売のきっかけは東日本大震災
佐藤さんがホヤ販売を始めたきっかけは、東日本大震災だった。
かつては年間で1万トン近くの水揚げがあった宮城のホヤだが、主な消費先は国内でなかった。じつに7割から8割は韓国へ輸出され、消費されていたのだ。
そんな中、東日本大震災が発生。韓国政府は、福島第一原発の事故を理由に、宮城や福島といった8県からの水産物の輸入を全面禁止にする措置を取った。
輸出に頼り切っていた宮城のホヤの販路は立たれてしまったワケだ。
行き先をなくしてしまったホヤ。そんな折、白羽の矢が立ったのが、当時、塩釜市内で水産加工品を扱う会社を営んでいた佐藤さんだった。「ホヤが余っていて廃棄しているから使えないか」そんな相談が、漁協の職員から寄せられたのだという。
「何とかしなければ」佐藤さんは、加工原料に使うことを模索したが、漁協から相談があった2016年から翌年にかけて廃棄されていたホヤの量は、なんと約1万5000トン。あまりにも膨大な量だった。
「輸出に頼っていた、頼り切っていたという構造がそもそもおかしいんじゃないかとずっと思っていて、新しい食文化みたいなものを作っていかないと消費を作るというのは難しいなと…。」(ホヤ専門店ほやほや屋 佐藤文行代表)
山積する課題
佐藤さんは代表だった水産加工品会社から身を引き、2017年、ホヤ専門店「ほやほや屋」を立ち上げ、新たな食べ方として「ホヤ唐揚げ」を売り出した。ほぼ毎日、イベントや店先に出店。「ホヤに対するイメージを少しずつ変えたい」そんな思いが佐藤さんを突き動かした。
店を訪れた人の中には、元々ホヤが苦手だったという人も。「唐揚げにすることで食べることができた」などと佐藤さんのホヤ唐揚げを絶賛する。
順調にファンを増やしている佐藤さんのホヤ唐揚げ。一方で、課題も残っていると佐藤さんは話す。七夕ぼやの収穫時期はわずか2カ月だけ。その間に1年分を生産し、在庫として抱えなければならず、多額の資金が必要となってくるのだ。
「加工業者に製品にしたものを1回在庫で抱えていただいたり、漁師さんにお願いして在庫を持ってもらったり…。とにかくいろいろな方に協力をいただいて、なんとか1年回せるようにという努力はしているのですが、1年分、売れれば売れるほど在庫をたくさん抱えないといけないというジレンマがあって…」
(ホヤ専門店ほやほや屋 佐藤文行代表)
さらに、福島第一原発にたまる処理水の海洋放出で風評被害も懸念され、今後の見通しはまだ立っていない。悩みの種は尽きない。
それでも、佐藤さんもホヤを提供する漁師も下を向くことはない。生産に協力する漁師は「生産者と販売者がしっかりタッグを組むことが大事。佐藤さんの頑張っている姿を見たら、こっちも応えなければならない」と佐藤さんの取り組みへの信頼を寄せ、佐藤さん本人も、少なからず手ごたえを感じている。
「コツコツやっていれば、応援する人は出てきてくれるというのは、最近少し感じている。諦めずにやることかなと思います。さらに地元の食材に地元の人が目を向けてほしいですし、これから先もずっと地元の食材を愛してほしい」
(ホヤ専門店ほやほや屋 佐藤文行代表)
輸出だけに頼らず、国内消費の拡大へ。地元を愛する多くの人たちの思いが詰まった“宮城のホヤ”は、今大きな転換期を迎えている。
(仙台放送)