6年前、神戸市で家族や近隣住民など5人を殺傷し逮捕され、その後の裁判で心神喪失を理由に無罪を言い渡された被告の男性の控訴審で大阪高等裁判所も無罪を言い渡した。犯行は間違いないのに、罪に問うことはできないのは一体なぜなのか。

神戸市で5人が殺傷された事件 被告の「責任能力」が争点に

被告の男性は6年前、神戸市北区で同居していた祖父母と近所に住む女性を刃物や金属バットで殺害し、母親ら2人にけがを負わせた罪などに問われていた。

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2021年11月、裁判員裁判となった一審の神戸地裁では、被告が精神障害の影響で「哲学的ゾンビを倒して同級生の女性と結婚する」と妄想を抱き、その実現のために犯行をした点については争いはなかった。

そんな中、争点となったのが「責任能力」だ。責任能力とは、自分の行為について善悪を判断し制御できる能力のことだ。刑法39条には裁判で責任能力がないと判断されれば「無罪」に、責任能力が低下していたと判断されれば刑を減軽すると規定されている。

一審では、被告の精神状態について調べた2人の医師の鑑定結果が、責任能力の有無を判断する重要なポイントになった。 A医師の意見は「被告は統合失調症の強い影響を受け、自分と同級生以外は『哲学的ゾンビ』であるという妄想が生じた。殺害したのが“人”と認識しておらず、責任能力はなかった」というものだった。

一方B医師は、「犯行をためらうなど判断能力は残っていた」などと主張。「心神耗弱状態だった」と結論付け、検察側もこの医師の意見などをもとに無期懲役を求刑していた。 そして、神戸地裁が言い渡した判決は無罪。その理由は「被告人と同級生以外が哲学的ゾンビであると、妄想等の圧倒的影響下で行為に及んだとの疑いを払拭できない」というものだった。

この一審判決を受け検察側は控訴。大阪高裁で始まった控訴審ではあらためて医師2人に対する尋問などが行われ、迎えた25日の判決で、大阪高裁は控訴を棄却し一審の無罪判決を支持した。

その理由として「何の恨みもない5人もの人を殺傷するという極めて重大な犯罪行為を、同級生との結婚の実現というだけの目的で敢行する不自然さがある。自身と同級生以外は哲学的ゾンビであるという妄想を確信していた疑いは払拭できない」とした。

判決について被害者遺族は…

被害者遺族:
本日の判決は私たちの心を、もう一度殺すに等しいものでした。妄想を抱いていたとしても、それで人を殺して罰せられない理由が分かりません

大阪高等検察庁は、「判決内容を精査した上で適切に対応する」とコメントしている。

納得できない遺族 しかし「遺族感情が介入する余地はない」と専門家

この事件について元大阪地検検事で弁護士の亀井正貴さんに聞いた。

神戸5人殺傷事件の控訴審は「哲学的ゾンビを倒すなど、妄想の影響で心神喪失の状態」とされて無罪となったが…

亀井正貴弁護士:
この事件、妄想があること自体に双方争いはありせん。問題は妄想の程度で、完全に責任能力がなくなれば無罪となり、かなり低いとなれば心神耗弱が認定されて無期懲役となる可能性があります。無期懲役か無罪かは紙一重なんです。非常に難しい事案だなと思いました

心神喪失で無罪となることに、遺族は納得できないと思われる。遺族の方に話を伺うことができた。
母親を殺害された50代の男性は「今日の判決は私たちの心をもう一度殺すに等しいものでした。妄想を抱いていたとしても、それで人を殺して罰せられない理由が分かりません。私たちだけではなくほとんどの一般の方も理解できないと思います」と語った。

家族を失った遺族の気持ちは裁判に反映されないのか。

亀井正貴弁護士:
反映されません。遺族の感情というのは処罰感情の問題ですから、どの程度処罰するかの問題なんです。処罰すべきかどうか、白か黒かというのは理論的に証拠から推認される話なので、そこは遺族の感情が介入する余地がないんです

神戸5人殺傷事件は2017年に発生。男性の被告は、神戸北区の自宅で祖父母の首を包丁で刺すなどして殺害し、近隣住民も刺殺。母親と近所の女性を襲い重傷を負わせた罪に問われている。

被告は「哲学的ゾンビを倒して知人女性と結婚する」という妄想の影響で犯行に及んだとされている。一審の神戸地裁、そして二審の大阪高裁ともに妄想の影響下で心神喪失の疑いのため、無罪判決が言い渡された。

25日の控訴審のポイントは、 被告が殺害したのは“人”なのか“哲学的ゾンビ”なのかという点だ。“人”と認識していた可能性を指摘した鑑定医もいたが、人ではない“哲学的ゾンビ”という妄想を指摘した鑑定医の意見を裁判所は選択した形になった。

亀井正貴弁護士:
専門的にいうと「人を殺してはいけないという規範に直面していない」という言い方をします。つまり対象としたもの、刺そうとした人間は、人ではなくて例えば、かかしのような人間ではないものを刺そうとした認識だったということです。ですので「人を殺してはいけない」という規範というか倫理に被告は直面していないという判断になります

亀井正貴弁護士:
(対象は被告の認識では)おそらくゾンビで、“哲学的”というのは思考ができるというぐらいの意味だろうと思いますが、基本的に人間ではないという認識であったということなんです。そこまで強い妄想なのかどうかが問題で、そこまで強くないんじゃないかとなったら心神耗弱になって、無期懲役の可能性があります

近代刑法の大原則「責任主義」

考え方の前提となるのが「責任主義」だ。近代刑法の一つの原理になっているもので、自分の行為について善悪を判断し制御する能力がなければ刑罰を課すべきではないという原則があるということ。

亀井正貴弁護士:
基本的に人権を尊重しなければならないというところからきています。犯罪を予防するだけだったら、結果だけ見て処罰すればいい。ですが近代刑法というのは、その人を非難していいかどうか、「非難可能性」を要求します。子供ですと何かしたからといって処罰することはできないですよね

亀井正貴弁護士:
それと同じように“非難可能性”と言いますが、それを前提としなければ処罰してはいけない、そうしないと国民の一般的な人権は侵害されてしまうという考え方です。犯罪を予防する目的だけで危ない人を隔離してしまうと、社会にはいいかもしれないけれども、全体として人権侵害の危険性が生じてくるという考え方です。(疑問を持つ一般の方もいるかもしれませんが)これは近代刑法の大原則なので、ここが揺らぐことは私の意識の中ではありません

関西テレビ 神崎博デスク:
心神喪失者に対して医療監察法という法律があり、監察制度があります。これは検察官が申し立てて、裁判所が判断するものです。裁判所がこの人は入院ですとか判断するんです。入院についても入院後半年ごとに見直し、延長されて長い間入院する人もいますし、退院したとしても通院するなど、地域の医療の仕組みや福祉の枠組み、あるいは行政がタッグを組んで、その人を見守っていく制度になっています

亀井正貴弁護士:
分野がいわゆる国家による捜査や措置から、医療に変わるということです。(犯罪者や危険性がある者を将来の危険防止のために処分する)結果主義・保安処分の考え方は近代刑法ではだめなんです。医療で対応していくことになります

関西テレビ 神崎博デスク:
まだ最高裁まで行く可能性はありますが、無罪が確定したならば法律に基づいて 医療監察という制度の中で、この被告を見ていくということになります

 (関西テレビ「newsランナー」2023年9月25日放送)

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