バレーボール応援の鉄板フレーズといえば、「ニッポン!チャチャチャ」。このおなじみのフレーズ、バレーボールが発祥と思っている人が多いのだが、実はサッカーが元祖。

その元祖が1962年(昭和37年)に仲間と「日本サッカー狂会」を立ち上げ、以来60年以上サッカー日本代表を応援し続けてきた、愛知県にある東光寺の前住職、“サッカー和尚“こと鈴木良韶(りょうしょう)さん(87)だ。

”サッカー和尚”が生みの親

「ニッポン!チャチャチャ」応援の元祖であり、日本サッカー応援サポーターの”元祖“でもある鈴木さん。サッカーの人気が今ほどでなく、応援のノウハウもない時代。

静かなスタンドを活気づけようと1967年(昭和42年)、ブラジルの強豪クラブ・パルメイラスとの国際親善試合で、鈴木さんたちが前年のワールドカップイングランド大会での応援を参考に編み出したのが「ニッポン!チャチャチャ」のリズムだった。

”サッカー和尚”鈴木良韶さん(2018年ロシアワールドカップ)
”サッカー和尚”鈴木良韶さん(2018年ロシアワールドカップ)
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その独自の応援スタイルが見事結実したのが5年後の1972年(昭和47年)。

“サッカーの神様”ペレ率いるサントスFC(ブラジル)が来日。国立競技場で日本代表と対戦した時に、鈴木さんとサッカー狂会会員たちが「ニッポン!チャチャチャ」のコールと手拍子を始めると、それが周りの観戦者にも波及。満員のスタンドが「ニッポン!チャチャチャ」の大合唱で揺れたのだ。

当時の会報誌『FOOTBALL』
当時の会報誌『FOOTBALL』

この応援スタイルが話題となり、いつしかバレーにも伝わったのだ。鈴木さんは当時を振り返る。

「サッカーの応援で私たちが始めて、いつの間にかいろいろなスポーツに広まって、当時人気絶頂のバレーにもたどり着き、テレビ中継であの応援スタイルに火がついた。パクられましたね(笑)」

応援をチカラにパリへ(写真:©️JVA 撮影 小海途良幹)
応援をチカラにパリへ(写真:©️JVA 撮影 小海途良幹)

翌1973年に開催されたワールドカップバレーで女子日本代表は見事銀メダルを獲得。その躍動の裏には観客による「ニッポン!チャチャチャ」の後押しがあったのかもしれない。

コロナ禍を経て開催されるパリ五輪予選/ワールドカップバレー2023。会場で、テレビの前で、「ニッポン!チャチャチャ」と声を出し、手を叩いて日本代表の熱き戦いにエールを送りたい。

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プライムオンライン編集部
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FNNプライムオンラインのオリジナル取材班が、ネットで話題になっている事象や気になる社会問題を独自の視点をまじえて取材しています。