戦後間もない北九州・黒崎で、多くの市民の命を守った進駐軍のパイロットがいた。2023年8月16日、28年ぶりにその家族が黒崎の地を訪れ、いまも語り継がれる遺徳をしのんだ。

脱出せず小学校や住宅への被害を避け…

アメリカ・ウィスコンシン州から、28年ぶりに八幡西区黒崎を訪れたサンドラ・リー・デウォルトさん(77)。息子や孫たちと共に、27歳で亡くなった、父親でアメリカ空軍中尉だったロドニー・ニコルソンさんを悼んだ。

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終戦から2年後の1947年11月、ニコルソンさんは、当時アメリカ軍が接収していた芦屋基地(芦屋町)から訓練飛行のため離陸。しかしニコルソンさんが搭乗した戦闘機は、黒崎上空でエンジントラブルに見舞われた。

機体を捨てて脱出するチャンスはあったはずだが、眼下の熊西小学校や住宅への被害を避けるために最後まで操縦かんを握り、工場(現・三菱ケミカル)の空き地に機体を誘導。機体は墜落し、ニコルソンさんは亡くなった。

サンドラ・リー・デウォルトさん:
悲しいことです。父は優秀なパイロットだったので住宅地を避けたのでしょう

サンドラさんの息子 ジャクソンさん:
市民を犠牲にするか、守るかの判断を迫られ、祖父は市民を守る決断をしたのです

武士道に通ずる活躍をたたえる

その一部始終を目撃していたのが、武道家の前田勇さん(故人)だった。終戦から間もない当時、八幡空襲で大きな被害を受けた市民の間にはアメリカ軍に対して複雑な感情もあったというが、前田勇さんはニコルソンさんの勇気と行動をたたえる慰霊碑を建てた。

この日の追悼式には、前田勇さんの子どもである保さんの姿もあった。

父親が慰霊碑を建立した前田保さん:
アメリカの兵士だとか、日本の兵士だとかを抜きに“武士道”に通じるということで、父は慰霊碑を建てたのです

かつての慰霊碑は再開発のため取り壊されたが、1989年に鉄の彫刻として建て直され、当時の記憶を今に伝えている。

終戦から2年後の黒崎で多くの市民を守ったアメリカ軍人と、武士道にも通じるその行動をたたえた日本人。戦争の恩讐(おんしゅう)を超えた2人の思いは平和を願う人々の心に刻み込まれている。

(テレビ西日本)

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