第2次世界大戦の終わりから78年。時代は昭和、平成、令和と移り変わり、戦争を経験した世代は確実に少なくなっている。

「明治は遠くなりにけり。と言ったころもございますが、今や昭和が遠くなってしまいました」

平成の最後となる2018年8月、靖国神社を参拝した「みんなで靖国神社を参拝する会」の尾辻秀久会長が会見でこのように話していたことを思い出す。あの大戦は私たちに何を残したのか。人々は何を思い戦地に向かったのか。もはや令和の時代に先の大戦は非常に遠い存在だ。

首都ワシントンにある日本大使館
首都ワシントンにある日本大使館
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こうした中で、在米国日本大使館に旧日本軍の兵士たちの遺留品が数多く保管されていることを知り、取材する機会を得た。

大使館に眠る旧日本軍兵士の遺留品

アメリカの首都ワシントンの日本大使館に保管されている遺留品は、日章旗や手紙、写真、刀の鍔(つば)など数十点にも及ぶ。

在米国日本大使館に保管されている遺留品の一部
在米国日本大使館に保管されている遺留品の一部

私の目に最初にとまったのは、「祝聖戦出陣」と大きく書かれた日章旗だ。日付は「昭和19年6月5日」と書かれていた。米軍のサイパン上陸が6月15日、日本の絶対国防圏が破られるマリアナ沖海戦が6月19日と考えると、その後に各地で行われる壮絶な玉砕、大空襲などにつながる戦争末期の直前だ。

「祝聖戦出陣」と書かれた日章旗。「必勝」「頑張れ」という言葉も並ぶ。
「祝聖戦出陣」と書かれた日章旗。「必勝」「頑張れ」という言葉も並ぶ。

大勢の人の名前とともに、寄せ書きには「武運長久」と出征する兵士の無事を祈る内容のほか、「必勝」「頑張れ」という言葉も並んでいた。

十数枚ある日章旗には「八紘一宇」「無敵皇軍」などの言葉も並ぶ
十数枚ある日章旗には「八紘一宇」「無敵皇軍」などの言葉も並ぶ

保管されている日章旗は十数枚ほどあった。「八紘一宇」「勇往邁進」「七生報国」「無敵皇軍」と猛々しい文言も並ぶ。

半分ほどが破れてしまっている日章旗
半分ほどが破れてしまっている日章旗

また、戦場で破れてしまったのか、それとも保管状態の悪さなのか、日章旗の半分近くが欠損しているものもあった。

日章旗の端には英語で名前とみられる文字も書かれていた
日章旗の端には英語で名前とみられる文字も書かれていた

戦利品として日章旗を手に入れた兵士の名前なのだろうか、端に英語で名前が書かれているものもあった。

写真に残る人々の笑顔と英語の署名

次に私が手にしたのは、当時の様子を克明に残している写真だ。

アルバムには笑顔の人々の姿も(※一部画像を加工しています)
アルバムには笑顔の人々の姿も(※一部画像を加工しています)

アルバムに綺麗に整理された写真には、軍服を来て笑顔でポーズをとる人たちや、「野球選手」と書かれた男性の姿も映る。

写真には人物紹介や、旧満州国と見られる場所もあった(※一部画像を加工しています)
写真には人物紹介や、旧満州国と見られる場所もあった(※一部画像を加工しています)

建物の写真には「斉々哈爾(チチハル)」との記載もあることから、旧満州国で撮影されたものではないかと見られる。

アルバムに挟まっていた当時の日本で使用されいたお札
アルバムに挟まっていた当時の日本で使用されいたお札

アルバムには、当時の日本で使われていたお札のほか、ベトナム戦争時代に使われた軍票とみられるものも混じっていた。

アルバムに貼られていた女性の写真(一部画像を加工しています)
アルバムに貼られていた女性の写真(一部画像を加工しています)

また、アルバムの最初の方に貼られていたのは1人の女性の写真だった。「昭和18年9月23日」と日付が書かれ、「安东」という文字が見受けられる。当時の満州国の安東省で撮影された可能性もあるが、詳細はわからない。ただ、この女性は他の写真とは違い、1ページに1枚だけ貼られていることからも、この写真を収めた人物にとって特別な相手であったことはうかがい知れる。

写真を収めたアルバムには英語のサインが記されていた
写真を収めたアルバムには英語のサインが記されていた

このアルバムにも英語でのサインと、印字が書かれている。スタッフとともに読み解くと、旧連合軍の部隊名と人物の名前、そしてなぜか日本の判子で「鈴木」と押印もされている。どのような経緯でアメリカに持ち帰られたのかは全く不明ではあるが、この時代に生きた人々の姿や、思いが克明に映し出されているアルバムだった。

「武運の強い兵隊ばかりですから」手紙に書かれた言葉

最後に手にしたのは、満州に住む男性に、北京から女性が出した手紙だ。

北京に住む女性が満州の男性に送ったとみられる手紙
北京に住む女性が満州の男性に送ったとみられる手紙

「お便り有り難うございました」と始まるその手紙には、女性の息子なのか、兄弟なのか、軍に配属された2人の男性について「皆さん余り心配なさらないで下さい。武運の強い兵隊ばかりですから、家でも安心して居ります」と記されていた。同じ軍人と見られる、この手紙を送った男性にも無事を願う記載もあった。

満州に送ったはずの手紙がアメリカにまでたどり着いた経緯は判明していない。戦地にこの男性が携えて行ったのだろうか。誰がこの手紙を持っていったのだろうか――。謎は深まる。

旧日本軍で使用された軍刀の鍔とみられる遺留品
旧日本軍で使用された軍刀の鍔とみられる遺留品

大使館にはこのほかにも、旧日本軍で使用された軍刀の鍔(つば)とみられるものや、旧帝国海軍の符号とみられるものが付いたお椀などもあった。

兵士に支給される認識票とみられる遺留品もあった
兵士に支給される認識票とみられる遺留品もあった

また、悲しい話ではあるが、ドッグタグという兵士に支給される認識票も届けられていた。もしかすると、これが持ち去られたことで、今も戦死した兵士の身元が判明していない可能性もあり、早急に政府は検証する必要もあるだろう。

送り主も分からず日章旗が届けられることも

厚労省から大使館に出向し、遺留品を管理する久米隼人氏に話を聞いた。

久米氏は厚労省から大使館に出向し、遺留品を管理している(現在は異動)
久米氏は厚労省から大使館に出向し、遺留品を管理している(現在は異動)

――遺留品はどこからどのように送られてくるのでしょうか?

久米氏:
保管スペースに限りがあるため、遺留品を有している方には、大使館等に直接送付するのではなく、日本の厚労省に直接、入手経緯等を記載した申請フォームを送ってもらう仕組みとなっています。ただ、そうした情報をご存じでない方も一定数おり、遺留品が直接大使館に届くことがあります。

――送られてくる際には電話などもかかってくる?

久米氏:
はい。電話等で問い合わせがくる場合には、正式な申請手続きをお伝えしています。しかし、ごくまれに送り主の情報も、入手経緯の情報もなく、日章旗だけ郵送で送ってくるようなケースもあります。

アメリカ国内から多くの遺留品が久米氏の元に届いている
アメリカ国内から多くの遺留品が久米氏の元に届いている

――久米さん1人で遺留品の返還を行っている?

久米氏:
この大使館の担当は私一人です。もちろん、遺留品の引き取り主を探す業務などは、厚生労働省や自治体等が分担して行っています。

――実際に返還作業が出来た遺留品はどのくらいあるのか?

久米氏:
ご親族等の引き取り手が見つかりやすいケースは、米兵がいつ、どこで、どのように持ち帰ったのか、また亡くなられた方のお名前やご住所等の情報に手がかりがある場合です。私がこちらにいた3年間で、引き取り手が見つかり、遺留品を日本にお送りできたのは3件程度です。

――どのように遺留品の返還業務に取り組んでいる?

久米氏:
先の大戦で、私の祖父は中国に出兵しており、私は小さい頃から、戦死した戦友への思いをよく聞かされていました。もうご遺族ですらご高齢となり、ますます探す手がかりが少なくなっています。一日も早く遺留品がご家族・ご親族の元に帰ることができるよう願いながら、業務に携わっています。

ふるさとに還れない遺留品

こうした大使館に送られ、保管されている遺留品の対応はどうなっているのか。厚労省の社会・援護局に取材をしたところ、各国の大使館などに保管されている全ての遺留品は「把握していない」との回答だった。

旧日本海軍とみられる符号がある遺留品
旧日本海軍とみられる符号がある遺留品

ただ、外務省から調査依頼があった遺留品が2021年には13件、2022年には12件、遺族に返還されているとしている。厚労省としては、外務省を通じて調査依頼があった場合には写真を送ってもらい、「元の所有者と思われる方の、氏名・所属部隊・本籍県等を手がかりとして、旧軍から引き継いだ資料をもとに元の所有者の調査する」としている。所有者が特定できれば、都道府県に対してご遺族の調査を依頼して、遺留品の返還を行う流れだという。

遺留品とみられるものがアメリカのネットで売買されていた
遺留品とみられるものがアメリカのネットで売買されていた

また、私がこの取材を行うにあたり、アメリカでは相当数の遺留品とみられるものがインターネット上で売買されている実態にも直面した。

これに対して厚労省に対策を聞いたところ、「ネットオークション等の出品については、厚労省のHPで日本文と英文で自粛を呼びかけている。遺留品の情報を頂いても、厚労省が行っている調査については遺留品の保管者からの依頼を基本としているため対応できないが、情報をもとに、オークションサイト等の運営者に出品の自粛を呼びかける等の措置を講じている」ということだった。

外務省関係者からは「遺留品をせめて日本の土地に還すことだけでもできないのか」との声も挙がるが、現時点は大使館などに保管されている遺留品は、遺族など見つかり受領を希望しなければ果たされないという。厚労省関係者からも「厚労省だけでこの遺留品の返還活動を行うのには限界がある。ご遺族等が見つからなかったものでも、自衛隊の基地に返還されたものもあるように聞いている。志のある省庁を巻き込んで、政府が一体で取り組まなければ厳しい状況だ」との声も挙がる。

遺留品として保管されていたアルバム
遺留品として保管されていたアルバム

国のために戦った人たちの遺骨はもちろんのこと、家族や仲間を想い、肌身離さず持ち歩いてきた大切な遺留品が戦後78年たっても未だに日本の土地にすら還れない現状は、余りに忍びなく、申し訳ない気持ちになる。ご遺族の高齢化も懸念される中で、家族はその帰りを今も待ち続けている。

(FNNワシントン支局 中西孝介)

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中西孝介
中西孝介

FNNワシントン特派員
1984年静岡県生まれ。2010年から政治部で首相官邸、自民党、公明党などを担当。
清和政策研究会(安倍派)の担当を長く務め、FNN選挙本部事務局も担当。2016年~19年に与党担当キャップ。
政治取材は10年以上。東日本大震災の現地取材も行う。
2019年から「Live News days」「イット!」プログラムディレクター。「Live選挙サンデー2022」のプログラムディレクター。
2021年から現職。2024年米国大統領選挙、日米外交、米中対立、移民・治安問題を取材。安全保障問題として未確認飛行物体(UFO)に関連した取材も行っている。