今から82年前の1941年、日本軍はハワイ真珠湾にある米軍基地を攻撃、日本とアメリカは太平洋戦争に突入した。この戦争を回避しようと努力した、一人の日本人がいたことはあまり知られていない。

歴史学者・朝河貫一

戊辰戦争の舞台となった福島県二本松市の霞ケ城。落城から5年後の1873年、市内で一人の男の子が生まれた。後に世界的な歴史学者となる朝河貫一、その人だ。

福島県二本松市で生まれる
福島県二本松市で生まれる
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誕生から8カ月後、二本松藩士だった博士の父・正澄(まさずみ)は、立子山小学校の校長を務めることになり、一家は二本松市から福島市立子山地区に移り住む。

移り住んだ福島市立子山地区
移り住んだ福島市立子山地区

移住先でのびのび成長

最初に校舎が設けられた天正寺には、博士が4歳の時に書いた馬の絵の落書きが大切に保存されている。博士は5歳のころから儒学の本を読むなど、両親から徹底した英才教育を受け成長する。

最初に校舎が設けられた天正寺
最初に校舎が設けられた天正寺

博士の顕彰活動を行っているNPO法人地域のみんなのチカラ・朝倉鉄哉さんは「当時は戊辰戦争が終わって間もなく。博士は静かな村に来てのびのび勉強したのでは」と話す。

4歳の時に描いた馬の絵の落書き
4歳の時に描いた馬の絵の落書き

独特の勉強法

1889年、15歳になった博士は福島市から郡山市に移転した福島県尋常中学校(現在の安積高校)に進学する。

安積歴史博物館(旧福島県尋常中学校 本館)
安積歴史博物館(旧福島県尋常中学校 本館)

博士は英語の辞書を毎日暗記、覚えたページは破って食べたと言う。そして最後に残った辞書のカバーを校庭にある桜の木の根元に埋めた。この桜の木は「朝河桜」と呼ばれ今も大切に育てられている。

「朝河桜」今も大切に育てられている
「朝河桜」今も大切に育てられている

安積歴史博物館の橋本文典さんは「ただ漫然と毎日を送るのではなく大きな目標を持って、それに今できることは何だろうなと勉強したんじゃないですか」と話す。

安積歴史博物館・橋本文典さん「大きな目標を持って勉強していたのでは」
安積歴史博物館・橋本文典さん「大きな目標を持って勉強していたのでは」

卒業式の答辞は英語で

もう一つ有名なエピソードが卒業式、首席として答辞を読んだ博士が口にしたのは、なんと英語のスピーチ。余りの流暢さに、イギリス人教師・ハリファックスは「やがて世界はこの人を知るであろう」と語ったと言う。
その言葉通り、博士は世界へと羽ばたいていく。

イギリス人教師・ハリファックス
イギリス人教師・ハリファックス

日本に対し警鐘を鳴らす

東京専門学校、現在の早稲田大学も首席で卒業した博士は、アメリカ留学を決意する。ダートマス大学に入学した博士は、日本と外国の法律や制度の違いを比較する「比較法制史」の研究に打ち込む。

朝河博士のパスポート写真
朝河博士のパスポート写真

その一方、戦争への道を突き進む日本に対して度々警鐘を鳴らした。
「日本は、自国の利益拡大のみを愛国の行為と思うようになってしまった…」
「残念だが日本とアメリカはこれから政敵になるだろう」

歴史は博士が警告し、予言した通りになっていく。

戦争への道を突き進む日本に対し度々警鐘を鳴らす
戦争への道を突き進む日本に対し度々警鐘を鳴らす

天皇に親書を送り戦争阻止へ

どうすれば日米の開戦を回避できるのか?博士が取ったのはアメリカ大統領名の親書を、昭和天皇に送り戦争を阻止するという大胆な行動だった。
しかし、親書が天皇陛下に届けられたのは、日本が真珠湾攻撃を開始したまさにその日…。博士の必死の願いは、あと一歩のところで叶わなかった。

博士の必死の願いは届かず
博士の必死の願いは届かず

生誕150年 生涯を伝えるマンガ

博士が生まれてから2023年で150年。その足跡が、改めてクローズアップされている。郡山市にある安積国造神社の宮司・安藤智重さんは、博士の生涯を伝えるマンガの制作に取り組んでいる。安藤家と朝河家は親戚関係。安藤さんの曽祖父・国重さんは、博士と同じ高校に通うなど親しい間柄にあった。「先祖から伝え聞いた博士の人柄や偉業を若い人にも知ってもらいたい」そんな思いからマンガの出版を決めた。

安藤氏制作のマンガ「博士の人柄や偉業を伝えたい」
安藤氏制作のマンガ「博士の人柄や偉業を伝えたい」

2023年秋の出版に向け、安藤さんは「日本人としても平和を考える機会が必要。ぜひ朝河貫一博士で世界平和を発信したい。そして若い人たちにも最後まであきらめずにやっていく朝河の精神を受け継いでもらいたい」と話す。

安積国造神社の宮司・安藤智重さん
安積国造神社の宮司・安藤智重さん

幼少期を過ごした立子山とのつながり

一方、博士が幼少期を過ごした福島市立子山地区。博士の父・正澄は立子山小学校で30年間 教鞭をとった。退職の際、地域住民853人は「報恩之辞(ほうおんのじ)」と呼ばれる書簡を贈っていた。そこには、身を粉にして地域のために尽くしてくれた正澄への感謝の思いが綴られている。父親が亡くなった後、博士は「報恩之辞」をアメリカに持ち帰り、生涯大事に持っていたと言う。

「報恩之辞(ほうおんのじ)」レプリカ
「報恩之辞(ほうおんのじ)」レプリカ

「報恩之辞」のレプリカを製作したNPO法人地域のみんなのチカラ・斎藤信行さんは「お父さんが亡くなられて遺品整理をされて、博士がイェール大学に持ち帰られた。それだけ貴重なものと博士も理解されていた。これは歴史。我々が次世代にこういう事実があったということを伝えていきたい」と話す。

みんなのチカラ・斎藤信行さん「次世代に伝えていきたい」
みんなのチカラ・斎藤信行さん「次世代に伝えていきたい」

平和への願いを伝承

また立子山奉納太鼓伝承会では、平和の象徴として博士をモチーフにした太鼓を新たに創作した。今後、地元の小学生を中心に練習を重ね各地で演奏していく予定だ。立子山奉納太鼓伝承会の寺島正嗣さんは「博士が求めた平和への願いを、こういう時代だからこそ大切にして子供たちとともに後世に伝えていきたい」と話す。

平和の象徴として博士をモチーフにした太鼓を創作
平和の象徴として博士をモチーフにした太鼓を創作

他にも、二本松市教育委員会は中学生を対象に、博士の生涯や偉業を学ぶ出前授業を開催するなど、その功績を次世代に受け継ごうという動きが広がっている。

安達中学校での出前授業
安達中学校での出前授業

愛国心と冷静な分析力

300万人以上が犠牲になったと言われる太平洋戦争。博士は、祖国・日本の進路を危ぶみ何度も何度も忠告し続けた。そこには深い愛国心と同時に、世界情勢を見極める冷静な分析力があった。

深い愛国心と世界情勢を見極める冷静な分析力
深い愛国心と世界情勢を見極める冷静な分析力

今一度 朝河の精神を

いまだ終わりの見えないロシアによるウクライナへの軍事侵攻、21世紀の今、国際的な視野を持ち平和の尊さを説いた博士の存在は、改めて多くの人の心に響いている。
早稲田大学政治経済学術院の浅野豊美教授は「国際社会と直接つながって日本を論じようとした朝河の精神を今の時代にもう1回見つめ直すべき」と訴える。

早稲田大学政治経済学術院・浅野豊美教授「朝河の精神を見つめ直すべき」
早稲田大学政治経済学術院・浅野豊美教授「朝河の精神を見つめ直すべき」

早稲田大学文学学術院の甚野尚志教授も「世界・日本が危機的な状況の中で客観的にどういう方向が正しいのか分析できた人いたのか?孤立しながらもそういうことをきちんとできた知識人がいた。朝河博士が再評価されるのは、今世界情勢がこういう状況だからと思う」と博士の功績を評価する。

早稲田大学文学学術院・甚野尚志教授 博士の功績を再評価
早稲田大学文学学術院・甚野尚志教授 博士の功績を再評価

わが道、一をもってこれを貫く

博士は終戦から3年後の1948年、74歳で亡くなった。墓はアメリカとふるさと・二本松市 それぞれに設けられた。父・正澄が名付けた貫一の名前、そこにはこんな思いが込められている。
「吾ガ道、一ヲ以テ之ヲ貫ク(わが道、一をもってこれを貫く)」
その名の通り 世界平和のため己の信念を貫き通した生涯だった。

朝河博士の墓 わが道、一をもってこれを貫く
朝河博士の墓 わが道、一をもってこれを貫く

終戦から78年。この先、日本そして世界はどこへ向かおうとしているのか?平和への道標・朝河貫一博士は、今も天空からその行く末を見守っている。

資料協力:二本松市教育委員会

(福島テレビ)

福島テレビ
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