1941年12月8日の真珠湾攻撃。旧日本軍はハワイ・真珠湾のアメリカ太平洋艦隊基地を攻撃し、アメリカとの戦争に突入した。当時、日米開戦を阻止しようとした1人の福島県人がいた。

「絶対に戦争はいけない」と何度も警告

福島県二本松市出身の世界的な歴史学者、朝河貫一博士。

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アメリカに渡っていた朝河博士は日露戦争後、強権的な日本の外交政策を非難。

戦争によって日本が破滅の道に進むと警告していた。

朝河貫一研究会 幹事・渡邊剛さん:
朝河は武士の魂を持っていましたから、武士道としても許すわけにはいかない、絶対に戦争はいけないと、何度も何度も声を大にして日本に警告しました

朝河博士は開戦を回避しようと、アメリカのルーズベルト大統領から昭和天皇へ送る親書の草案を執筆。しかし、親書が昭和天皇に届いたころ、旧日本軍は真珠湾へ出撃していた。

朝河貫一研究会 幹事・渡邊剛さん:
あとに発表された大統領の親書をみますと、残念ながら朝河が書いたものはごく一部で。ほとんどはアメリカの最後通牒に近い、一方的なものでしたから

朝河貫一研究会 幹事・渡邊剛さん:
それが間に合って読まれたとしても、戦争が回避されることは多分難しかったと思います。しかし、戦後その手紙が、日本の再建に間接的に役に立ったことはわかっております

特攻で同期生を見送り…元零戦操縦士の思い

元零戦操縦士 石井辰美さん:
隣の家のラジオで知ったわけなんだけども。アメリカと戦争やるようになったかと

当時14歳だった、福島県須賀川市の石井辰美さん(94)。

開戦から2年後、旧日本海軍航空隊に入隊した。零戦の操縦士となったが、日に日に戦局は悪化。

特攻が始まり、出撃命令を覚悟しながら同期生を見送った。

元零戦操縦士 石井辰美さん:
死んでいく人を弔う気持ちもあったけど、それよりもあすはわが身かと。そういう気持ちなのかな。美しく死ぬなんて言葉があるけれど、美しく死ぬなんて、とてもできない

元零戦操縦士 石井辰美さん:
むごたらしいものだ、戦争で死ぬということは。そういうむごたらしいことはやっぱり、若い世代の人たちには、味わせたくないと思う

真珠湾攻撃から、悲劇の道をたどった日本。

「世界の平和なくして人類の幸福はない」。生涯をかけ平和を訴え続けた朝河博士のメッセージを改めて受け止めなければならない。

(福島テレビ)

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