福井市内を壊滅させ、市民1,500人以上が犠牲となった福井空襲から2023年で78年を迎えた。
体験者が高齢化する中、その証言や戦時中の遺品などを集めて、次の世代に伝える取り組みが進んでいる。
空襲体験者の証言から、平和について考える。

「福井空襲」から78年…遺品が語る戦争の悲劇

1945年7月19日午後11時24分、アメリカの大型爆撃機B29が福井市の上空に現れた。

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爆撃時間は約80分。福井市内の建物の8割が全壊し、1,576人の市民が犠牲となった。

展示されている戦争体験者の描いた絵
展示されている戦争体験者の描いた絵

あの空襲から78年。JR福井駅のにぎわい交流施設ハピテラスでは、7月15日に福井空襲を語り継ぐ集いが開かれた。会場には空襲直後の生々しい写真や、体験者の描いた絵などが展示された。

実行委員長の屋敷絋美さん(79)は当時1歳。福井市内で空襲に遭った。

実行委員長の屋敷絋美さん
実行委員長の屋敷絋美さん

屋敷絋美さん:
直接は覚えてないけれど、父親に聞いた話で、布団に水をかけてかぶって僕をおぶって、福井の空襲の赤く燃えるのを見てた

この催しは2023年で5年目を迎えたが、今回、屋敷さんにはある強い思いがあった。

空襲経験者の物品
空襲経験者の物品

屋敷絋美さん:
空襲から78年たっている。空襲を経験した人が大事にしている品物があると思う。なかなか価値を認めてなくて廃棄されてしまう。なんとか収集して次につなげていきたい

「世界の戦争は本当に無駄」

体験者が高齢化している現状を考えると、最後のチャンスになるかもしれない。
屋敷さんはそんな覚悟をもって、戦争や空襲にまつわる品や体験談を募った。すると多くの反応が返ってきた。

その一人が小原百代さんだ。現在91歳で、14歳の時に空襲を体験した。

小原さんが描いた空襲の絵
小原さんが描いた空襲の絵

小原百代さん:
文殊山の上空からB29が来る。その頃、警報の知らせがサイレンで「ブー、ブー、ブー」って10回早く鳴ったら空襲警報。それが6回目くらいでB29が見えだした

小原さんは焼夷弾が降り注ぐ中、福井市の護国神社へと無我夢中で走った。

小原さんが描いた空襲時の荒川の様子
小原さんが描いた空襲時の荒川の様子

小原百代さん:
ほとんど燃えた。荒川に行くと死臭がして、どこかで人が死んでるよって分かる。戦争はこんなにむごったらしいのよってことを良く分かってほしい

9歳の時に空襲を体験した内田豊子さんは現在88歳。弟の手を握り、山奥町へ逃げた。

内田豊子さん:
弟の手を握って「お姉ちゃん、姉ちゃん、姉ちゃん」。「姉ちゃんの手を離したら死ぬよ」って母に言われているから、私の4年生の手を握って「なんまんだぶ」って弟が言うんですよ。この弟を絶対守らないと…と思った

空襲を生き延びて家に戻ると、見慣れた風景は一変。悲惨な光景が広がっていた。

内田さんが描いた空襲時の景色
内田さんが描いた空襲時の景色

内田豊子さん:
一面が焼け野原で焼死体がゴロゴロあって。その頃、空腹を感じて、お腹がすいた、食べるものがない。トマトがぶらさがっていたから取ったら、熱いのと焼夷弾の油とで臭くて食べれるもんじゃない。戦争は一瞬のような気がするが人生の全て。世界の戦争は本当に無駄

来場者:
福井空襲を知らなかったので良い機会になった

来場者:
子どもは小さくて、こういうことを知らないので、伝えられたのが良かった。写真を見ていて(子どもの)表情がちょっと変わった感じがあって。完全には分かってないと思うが、子どもにも刺さるものがあったのかな

“戦争とは何か”を考えてほしい

同じ惨劇を繰り返さないために、次の世代に語り継ぐ…実行委員長の屋敷さんは今後、体験者の証言を映像に残していく考えだ。

屋敷絋美さん:
戦争とは何か、空襲とはどういう風に人に影響を与えるかというのを考えてもらう機会が提供できれば意味があることではないか、というふうに思う

(福井テレビ)

福井テレビ
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