いつもと変わらずアニメの制作に励んでいたあの日。一瞬の炎で多くの人の生活が一変した。石田奈央美さん(当時49歳)。27年間、京都アニメーションで「色彩設計」の担当として作品に携わってきた。

忘れられない最後の会話 残った遺品は髪ゴムだけ

奈央美さんの母が、昔の写真を見せてくれた。

奈央美さんの母:
これは一番初め(の写真)や。まだ3カ月になってへん時や。あんまり泣かへんかってん、この人。わがままなく、育てやすかったよ

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母は今も、昔の写真は大切に保管している。

両親が初めて取材に答えたのは、事件から1週間後のこと。家に戻ってきたのは、あの日、奈央美さんが身に着けていたものだけだった。

奈央美さんの母:
プラスチックのところはこげている。金具だけは残ってる。長い毛してたからゴムをくくって、毛を巻き付けていたからゴムはどうもなかった。「きょうはあんた帰ってくる時に雨降ってくるから長い傘持って行きや」って言ったら「ふーん」って。それだけです。それが最後です

小さいころから絵を描くことが好きだった奈央美さん。 高校を卒業した後、一度は病院で働き始めたものの、夢を諦めきれずに京都アニメーションに入社し、これまで数々の作品を手掛けてきた。

しかし、あの日を境に、毎朝使っていた3人分の食器は、食卓に並ばなくなった。

奈央美さんの母:
年月経ってもやっぱり忘れられへんと思いますわ。まさかこんな形で終わると思わへんかった。ほんまショックです。まだ死んだみたいに思わへん。ときたま帰ってくるかいなと錯覚起こすときもあります

奈央美さんの父:
あいつの位牌(いはい)の前に立つと、どうしても、うわーってなってくるんです。さっきまでそこで座ってしゃべってたのに、それがぱっと、おらんようになってしまった

事件から1カ月後 初めて見た娘の作品

仕事について話すことが少なかった奈央美さん。事件から約1カ月、娘が愛した仕事を知ろうと2人は初めて奈央美さんの作品を見た。

奈央美さんの母:
すごいな。きれいやな、暗いところなんかすごいきれい

映像から伝わった奈央美さんの新たな一面。 「娘が生きた証を感じたい」。奈央美さんが最後に携わった作品も見ようと劇場に足を運んだ。

奈央美さんの母:
ほんまに最後やから見納めやからね。あの子はいないから

上映中、ずっと前のめりになって作品をみていた母。少し、気持ちに変化があったという。

奈央美さんの母:
すごい仕事をしてたんやなと思います。感心ばっかりします。いつまでもかわいそうや、かわいそうやと思っていたら、あの人も成仏できひんからね。天国で好きなことを皆さんと一緒にしてくれているやろうと思っています。あれだけ大勢の人が一緒に亡くなったから、そう思うようにしています

見つかった写真からよみがえる娘との思い出

そしてあの日から4年。少しずつ奈央美さんの部屋の片づけを始めることにした。

奈央美さんの母:
アルバムがようけ出てきました。これはほかされへんし(捨てられない)って

屋根裏から見つかった写真を見て、忘れかけていた奈央美さんの様々な表情がよみがえってきた。

奈央美さんの母:
このワンピースやったかな。初めての給料で3万3,000円で買ってきた。あんたそんなん出してよう買ってきたなって

昔の写真を見ながら、娘との会話に思いをはせる。

そんな中、殺人などの罪で起訴された青葉真司被告(45)の裁判が、9月から始まることが決まりった。

奈央美さんの母:
(奈央美さんには)やっと裁判始まるでって言った。それだけです、報告したのは。それしか言うことないからね

「真実を語って欲しい」願う遺族の想い

なぜ娘の命が奪われなければならなかったのか。青葉被告の主張が裁判で明らかになることを望んでいる。

奈央美さんの母:
長かったね…長いようで短い。いまだに涙出てきます

ーー奈央美さんのためにも本当のこと話してほしい?

奈央美さんの母:
それが第一やね、望むことや。犯人がちゃんと言うてくれないとね。しゃべってくれないと、このまま裁判も何があったのか分からない。何のために火を付けたんやって

少しずつ前を向こうと歩み始める家族。 しかし、突然愛する人が奪われた、その悲しみはいつまでも消えることはない。

(関西テレビ「newsランナー」2023年7月18日放送)

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