日本から約3000km離れたモンゴルで、長崎市出身の女性がJICA(ジャイカ)海外協力隊として現地の子供たちに日本語を教えている。厳しい寒さの中、言語の壁を越えて築いた絆と、長崎で育まれた「異文化を受け入れる力」を武器に、教育の最前線に立つ先生の姿を追った。
世界で最も寒い首都、その先へ
モンゴルの首都「ウランバートル」。
国の人口約350万人のうち半数が集中する中心地だ。緯度は北海道稚内市とほぼ同じで、標高1350mに位置する。
真冬には氷点下30℃を下回り、世界で最も寒い首都だ。
ウランバートルから車で6時間以上かかる「アルバイヘール」へ向かった。人口約3万人の街だ。
アルバイヘールには公立の学校「メルゲド統合学校」がある。6歳から18歳までの子供たち、約1000人が通っている。
モンゴルで日本語を教える先生
統合学校で日本語を教えているのが、長崎市出身の稲田早苗先生だ。
JICA(ジャイカ)の海外協力隊として、2025年1月に赴任した。
稲田先生はひなまつりの授業で、自身の故郷である長崎の“桃カステラの文化”を紹介するなど、工夫を凝らしている。
赴任から1年以上が経ち、最初は緊張していた生徒たちの顔にも笑顔が増えてきたという。稲田先生は、「最初は生徒たちはすごくおとなしい印象だったが、1年過ぎたあたりから日本語で挨拶してくれるようになった」と、交流の喜びをかみしめている。
「鬼滅の刃」はモンゴルでも人気
日本語の授業は週に3コマだ。
「鬼滅の刃」など日本のアニメ好きや、漢字そのものが好きという生徒たちが集まり、日本への興味や関心も高い。
11歳以上の希望者が無料で受けることができ、その人気は年々高まっているという。現在は約200人が受講している。
教室のあらゆる備品は、日本のODA=政府開発援助によるものだ。電子黒板やパソコン、机などがODAの援助で設けられ、生徒たちが安心して授業が受けられる体制が整えられている。
モンゴルを支える日本
社会主義国だった頃のモンゴルは、旧ソ連の大規模な援助に支えられてきた。
1990年代前半に民主化を果たしてからは、「第二の隣国」とも呼ばれる日本がODA=政府開発援助で教育や医療、ライフラインなど様々な分野で無償資金協力などを行っている。
ODAを実際に担う機関がJICA=国際協力機構だ。開発途上国の支援のために世界各国に無償で人材を派遣する「海外協力隊」の取り組みを60年以上にわたって続けている。
「一方的なODAだけではなく、人と人のつながりを通じた信頼関係を構築している」と語るのは、JICAモンゴル事務所の宮城兼輔所長だ。「日本企業、自治体、大学、いろんな日本の皆さんの協力を得ながら、両国の発展と信頼関係を深めていく取り組みをしたい」と話す。
稲田さんを支えるベテラン先生
稲田さんは、JICAの海外協力隊としてモンゴルの子どもたちに日本語を教えている。
赴任して1年。慣れてきたとはいえ、不安な部分も多い。稲田さんを支えているのは、開校当時から30年近く日本語を教える、ベテランのドラムスレン・ドヨドドルジ先生だ。
ドラムスレン先生は「稲田先生が来てから子供たちの日本語能力が伸びた。子供たちも保護者も学校の先生もみんなが先生のことが大好きで、みんなに愛されている」と、稲田先生を高く評価する。
2人は、食べ物をおすそ分けし合ったり、モンゴル料理を食べてワインを飲んだりするほど仲がいい。モンゴルと日本の文化を理解するきっかけにもなっている。
モンゴルの生活になじみながらも…恋しい日本
稲田さんは、学校の近くでひとり暮らしをしている。
部屋にはチンギスハーンの肖像画やモンゴルの伝統的な嗅ぎタバコが置かれている。まるでモンゴルの一般家庭のようだ。
夕飯には小籠包のような肉入り蒸し餃子「ボーズ」を作るほど、モンゴルの生活に溶け込んでいる。
一方で、調味料はしょうゆ、みりんなど、日本のものがずらりと並ぶ。モンゴルの店で買いそろえたそうで「たまに魚がすごく食べたくなる。その時は長崎に帰りたくなる」と、故郷を恋しく思うときもあると話す。
特に、友人からもらった長崎の“あごだしわかめスープ”は「心の支え」だ。少しずつ大事に食べている。
孤独な「挑戦」を支えるモンゴルの人たち
アルバイヘールで暮らす日本人は、稲田さんひとりだけだ。唯一の日本人として暮らすことは、稲田さんにとって「挑戦」だった。
稲田さんが初めて海外に足を運んだのは大学3年生の頃。中国の大自然に感激し、もっと世界を知りたいと思うようになった。その後、日本語教師として中国やポーランドなどでキャリアを重ね、モンゴルへと歩みを進めた。
アルバイヘールで日本人がひとりだと分かり、言語面で不安があったが、彼女がたどり着いた答えはシンプルなものだった。
まさに“郷に入っては郷に従え”だ。「頼れるのはモンゴルの身近にいる人しかいない。その人たちを知ってコミュニケーションを取ってやっていこう」と決めた。
最近では地元の人から民俗楽器・馬頭琴のレッスンを受け、ますますモンゴルの文化に染まっている。
異文化交流の楽しさ「私を通して知ってほしい」
モンゴルでの任期は2年。1年経った今、モンゴルでの生活は折り返しを迎えた。稲田先生が長崎出身だからこそ、子供たちに伝えたい思いがある。
「異なる文化を知ってそれを自分らしく生かしてほしい」。稲田さんの地元・長崎は、中国の文化、日本の文化、オランダの文化を受け入れ、その中で長崎らしい文化を育ててきた。長崎出身だからこそ「子供たちに、国際交流や異文化交流の楽しさを、私を通して知ってもらいたい」と、情熱を注いでいるのだ。
モンゴルの平均年齢は20代後半と若く、海外志向の若者が増えている。近い将来、稲田さんの教え子から日本や世界で活躍する人材が出てくるかもしれない。
日本語教師としての活動を終えた後は「日本に住む外国人の子供が増えているので、そういう人の役に立てるような仕事ができれば」と、さらなる夢を語ってくれた。
困難に立ち向かいながらも新しい自分に向かって突き進む稲田さん。これからの活躍にも注目だ。
(テレビ長崎)
