死者・行方不明者が49人に上る、1993年の8.6豪雨災害から2023年で30年。災害が起きた1993年に鹿児島市でタクシー運転手として働き始めた松尾和幸さん。災害当日は客を乗せ、水没した繁華街・天文館に車を走らせていた。その時、何があったのか。当時のルートを再現してもらいながら聞いた。
車道に水と共に流れてきたのはごみ箱
鹿児島第一交通の松尾さんは、1993年6月に徳之島から単身赴任し、鹿児島市で運転手を始めて2023年で30年になる。勤務開始からわずか2カ月後、あの集中豪雨が鹿児島を襲った。
この記事の画像(18枚)鹿児島第一交通・松尾和幸さん:
右も左も全然分からずに来た。(当時の)上司に言わせると(道も分からずに来ているから)「3カ月持てばいいんじゃないか」と。おまけに水害で、これはとんでもないところに来たんじゃないか
30年前のあの日、松尾さんは何を見たのか?実際に当時のルートをたどってもらった。
鹿児島テレビ・若松正大記者:
鹿児島市与次郎の鹿児島サンロイヤルホテルです。30年前の8月6日夕方、3人のお客さんがタクシーに乗り込んだそうです
松尾さんは、お客さんを乗せて海沿いのホテルから中心地の繁華街・天文館方面に車を走らせた。
鹿児島第一交通・松尾和幸さん:
お客さんが「飲み足りないから天文館で飲み直そうか」と
時刻は夕方、当時、雨はやんでいた。ホテルから国道225号を通り、この日氾濫することになる甲突川(こうつきがわ)を渡った。そして天文館方面に北上したが、異変を感じたのは、新屋敷町の「城南通り」に入った時だった。
鹿児島第一交通・松尾和幸さん:
ごみ箱とか、水と共に一緒に流れてきているのが分かったんですよ
松尾さんが運転するタクシーが走っていたのは車道だ。普段なら水やゴミ箱が流れるような場所ではない。
「経験がなくてもおかしい」
鹿児島テレビに当時の城南通り付近の映像が残されている。道路は完全に浸水、水かさは大人の膝の高さほどもあり、車もタイヤがほとんど水につかる状態で、近くのパチンコ店にも水が入り込んでいた。
鹿児島第一交通・松尾和幸さん:
ハッと思ってお客さんに「絶対おかしいですよ。引き返した方がいいですよ」と。お客さんはある程度お酒を飲んでいたから「かまわんが(かまわない)、行かんか、行かんか」と言うんですよ
そのころ、鹿児島の繁華街・天文館の「電車通り」と呼ばれるメインストリートは川のようになり、普段にぎわう夜の街は水であふれていた。松尾さんはお客さんを何とか説得し、来た道を戻り、ホテルに帰した。
鹿児島第一交通・松尾和幸さん:
こんなところ(道路)に水が押し寄せてくること自体がおかしい。いくら経験がなくてもそれぐらい気がつきますよね。お客さんを説き伏せて、Uターンしてホテルに戻った
そのまま、先に進んでいたらどうなっていたのだろうか。
鹿児島第一交通・松尾和幸さん:
まあ、沈んでいたでしょうね。その時、勤務していた乗務員がナポリ通り(JR鹿児島中央駅前の大通り)で泳いで逃げたと言っていた
「お客さんの命が第一、安全運転に尽きる」
徳之島から鹿児島市に来てわずか2カ月。地理に不慣れな中、冷静な判断で難を逃れた松尾さんは、当時を次のように振り返る。
鹿児島第一交通・松尾和幸さん:
(お客さんは)内心、「なんだこの運転手は!?」と思っていたかもしれない。こういう水害は二度と起こってほしくないと思いましたね
8.6豪雨災害から30年、松尾さんもタクシー運転手として30年目を迎えた。
鹿児島第一交通・松尾和幸さん:
よく続いたなと思いますよ。その時の乗務員はほとんどいないのではないか。私より後に入って先に辞めていますから、だいたいが
そして松尾さんはこの時の教訓を、「自然災害ですから人間がどうこうできるものではない。危なそうなところには近寄らない。お客さんの命が第一ですよね。安全運転、それに尽きると思います」と話した。
あの時の経験を生かしながら、松尾さんは今もハンドルを握っている。
(鹿児島テレビ)