2001年6月8日。大阪府池田市にある大阪教育大学附属池田小学校に、刃物を持った男が侵入。2時間目の授業が終わりに近づいた、午前10時過ぎのことだった。男は刃物で児童を次々と襲い、1年生と2年生の児童8人が死亡し、教師2人を含む15人が重軽傷を負った。

“思考停止”…当時の教師「組織で動けなかった」

当時1年の担任をしていた教師は、校舎内で血だらけになって倒れていた児童や同僚を前に、命を救おうと凄惨な現場を走り回った。「救える命も救えなかった」と悔やむ思いを胸に、22年間「学校の安全」と向き合い続けている。

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当時1年西組の担任をしていた小林弘典さん(54)。体育館での授業を終えて子どもたちを整列させていたところ、教師2人がものすごい形相で入ってきたという。

当時1年の担任だった小林弘典さん:
「子どもたちを避難させろ」とただならぬ雰囲気で話していて。何か聞くわけでもなく、一瞬のうちにこれはすごいことが起きたと感覚的に察知したので、一刻も早く避難させなければと状況を判断して動きました

1年西組の子どもたちを全員運動場の奥に避難させた後、「現場の手が足りない」という情報を受けて、小林さんは校舎に向かった。

当時1年の担任だった小林弘典さん:
校舎に上がると、倒れている女の子と先生が見えて。その向こうに1年南組の先生が倒れていて、誰もついていなかったので私は先生のところに駆けつけました。当時は刺されていたという状況も把握できていなかったですが、出血がすごかったので。扉を外して担架代わりにして、搬送されるところに連れて行ったと思います。当時私は思考ができていなくて、目の前の状況で、勝手に自分の判断で対応していました

事件では、被害の全容を教師たちが把握することに時間がかかった。組織的に対処ができず、目の前にいる児童の救護に集中した結果、複数の児童が20分前後にわたって救護を受けられず放置され、死亡した。

当時1年の担任だった小林弘典さん:
(現場で)どんな会話がされたというのが、なかなか思い出せないんです。他の教員も言っていたんですが、結局感覚の中で何ができるかを判断しながら、(運動場に)残る人、校舎に行く人に分かれ、それぞれが動いた形です。(教員同士が)バラバラで統率がとれなくて、組織として動けていなかったことが悔やんでも悔やみきれない。一番ずっと、心の中に残っているんです。結果的に救える命も救えなかった。たくさんの子どもたちにけがをさせてしまいました

事件前に京都の小学校で児童殺害…「自分ごと化できていなかった」

小林さんが悔やむのは、事件が起きる1年半前に京都市立日野小学校で、侵入してきた男に児童が刺され死亡した事件があったにも関わらず、校内で対策を講じていなかったことだ。

日野小学校での事件を受け、文部省(現在の文部科学省)は、安全確保の体制や校門の施錠状況などの点検を実施するよう、全国の教育委員会や附属学校を置く国立大学に通知を出していた。

当時1年の担任だった小林弘典さん:
通達が文部科学省からあったにも関わらず、「自分ごと」として捉えられていませんでした。認識が甘かった。1つ1つの通知文を受けて積極的に学校が変われていたかというと、それはなかったです

男は当時、開いたままの門から侵入した。当時の映像には、男が乗り捨てた車と、開いたままの通用門が映っていた。裁判で男は、「もし門が閉まっていたら乗り越えてまで入ろうと思わなかった」と話している。附属池田小学校の事件では、学校での安全対策や教師の避難誘導などがもう少し良ければ、被害を抑えられた可能性があったと考えられている。

Q:当時どうすれば、「自分ごと化」できたと思われますか?

当時1年の担任だった小林弘典さん:
なかなかそこに答えが出ないですよね。当時(事件前に)自分ごととして捉えることは難しい。学校に不審者が入ってきて刺しまくるなんて、想像がつかないと思う。答えがわからないからこそ、自分の経験を発信してきた。ただ、自分ごとにしてもらうのは常日頃、難しさを感じています。
ハード面の整備や見守りの強化を日本全国一律に同じようにすることは難しいし不可能だと思います。ただ発信したことを皆さんに見聞きしてもらうことで、「小さい事故や事件があると見直さないといけない」と思ってくれれば、一歩前進なのかな

学校安全を伝える「使命」 訴えるのは「訓練の大切さ」

事件後、小林さんは別の小学校や教育委員会に異動し、その中で地域の安全マップの作成や登下校状況を確認できるICタグの導入などに関わり、学校安全対策に取り組む機会も多かった。

4月からは池田市教育委員会の教育部長に就任し、市内の学校長に対して学校安全をどう発信していくかなどを伝えている。

当時1年の担任だった小林弘典さん:
事件を経験した者がこの立場で仕事をしている…「使命」というのか、自分だから任用されているんだなと思うこともあって。経験したからこそ伝えらえる言葉もありますし。特に学校現場にいた時は、朝に門で「おはよう」、帰りは「さよなら」と声をかける。そこまで緊張感があったものが、1日大きなこともなく無事終えられた時はホッとします。学校に普通に来て家に帰っていくのが当たり前じゃないという感覚があるので。他の地域にも(学校安全を)どう伝えていくのかが、新たな使命だと思っています

小林さんは取材中、何度も「日頃の訓練」の重要性を訴えた。その背景には、事件が起きた時に自身の思考が停止したために、最善の判断や動きができなかった後悔の思いがあるからだ。

当時1年の担任だった小林弘典さん:
パニックが起きると思考も止まるし、トレーニングをしていてもできなくなることもある。不審者訓練をすると自分のやるべき動きや連携の取り方などをインプットできるし、期間があいていても訓練は活かされると思います。何か起きた時の想定をして、学校にいる時は運動靴を履いたり、名札に笛を付けたり、壊れたほうきの柄をたてかけておいたり。意識を持っておくと、緊急事態でも無駄なく動けるのかなと。訓練でできないことは、本当に起きた時もできない

絶えない「不審者侵入」 事件の「自分ごと化」は教師だけではない

今では当たり前となった「学校の安全」の背景には、附属池田小学校での悲しい教訓がある。この事件をきっかけに文部科学省は各学校に危機管理マニュアルの作成を義務付けた。

しかし、5月には長野市の小学校に不審な男が侵入し、低学年の男子児童に液体をかけ逃走した事件が起き、去年には大阪市内の小学校に侵入した男が校内で暴れる事件があった。大阪市内の事案では、学校から保護者に入校証を発行しているにもかかわらず、確認しないまま門の鍵を開けてしまったという。

小林さんが「ほかの地域にどう伝えていくか」を自身の新たな“使命”と話したように、附属池田小学校事件の教訓を池田市や近隣地域だけでなく全国的に共有しなければ、安全対策も実態を伴わない形だけの取り組みになってしまう。一方で、人手不足や長時間労働が指摘される教師に対して、どこまで求めるかの議論も必要だと考える。

「目の前の子どもたちを同じ目に遭わせてはいけない」。自らの役割を果たすため、当事者は学校安全と向き合い続けている。事件から20年以上経過した今、その発信を学校だけでなく社会がどう受け止めるかが、学校の安全対策をより良いものに変えるだろう。

(2023年6月7日 関西テレビ記者 鈴村菜央)

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