日本周辺の海の安全と治安の確保を任務とする海上保安庁は、尖閣諸島や竹島周辺でも警備にあたっている。海上保安庁が発表した2023年5月のデータだけでも、尖閣周辺では31日間のうち29日間も中国の海警局に所属する船などが接続水域に入り(延べ99隻)、延べ12隻が領海侵入をしている。また、韓国に不法占拠されている島根県の竹島周辺では、韓国による日本漁船の拿捕などの阻止に向けた警戒も続けられている。

海上保安庁の練習船「こじま」
海上保安庁の練習船「こじま」
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こうした中で4月24日、海上保安庁の将来の幹部候補を育成する海上保安大学校を卒業した実習生52人(うち女性9人)が、4年ぶりに復活した練習船「こじま」による世界一周の遠洋航海に出港した。

実習生52人は4月24日に広島県の呉を出港した(海上保安庁HPより)
実習生52人は4月24日に広島県の呉を出港した(海上保安庁HPより)

アメリカ西海岸のサンフランシスコを経て、東部のメリーランド州ボルチモアに5月31日に寄港した際には大きな歓迎も受けた。実習生は様々な実践的な訓練を行いながら、8月に日本に帰港する予定だ。

実習の終了後には尖閣諸島や竹島の警備にも配属されるという、若者たちの奮闘を取材した。

ボルチモアに到着した海上保安庁の実習生たち
ボルチモアに到着した海上保安庁の実習生たち
海上保安庁は島根県の竹島周辺でも警備にあたる
海上保安庁は島根県の竹島周辺でも警備にあたる

4年ぶりに復活した遠洋航海

1950年(昭和25年)に海上保安大学校の前身となる「海上保安訓練所」が開設され、1954年には、練習船「こじま」が遠洋航海に必要な改装が行われ、初の航海実習が行われた。ちなみに現在の「こじま」は3代目で、前述した初代の「こじま」は1964年からは2代目となり、今の3代目「こじま」は1993年に就役している。

海上保安訓練所開所式で長官を出迎える訓練生(1950年11月海上保安大学校HPより)
海上保安訓練所開所式で長官を出迎える訓練生(1950年11月海上保安大学校HPより)
旧海軍海防艦の初代「こじま」(第六管区海上保安本部HPより)
旧海軍海防艦の初代「こじま」(第六管区海上保安本部HPより)

その間、海上保安大学校の実習生は、知識や技能の習得とともに国際感覚を養うため、約100日間に渡る世界1周の遠洋航海を続けてきた。2019年からは新型コロナウイルスの感染拡大とともに中止されていたため、今年、4年ぶりに復活した形だ。

3代目の練習船「こじま」(海上保安庁HPより)
3代目の練習船「こじま」(海上保安庁HPより)

遠洋航海は、海上保安大学校の学生にとっては4年間の学生生活の総仕上げとも言えるもので、非常に思い入れを持つ人が多いという。2009年には、ソマリア沖のアデン湾を通過した際に、海上警備行動中だった護衛艦に遭遇するなど、変化する国際情勢を肌で感じ取る重要な機会だ。

米国沿岸警備隊と合同訓練

4月24日に実習生52名(うち女性9名)、乗組員39名(うち女性6名)で、練習船「こじま」は海上保安大学校がある広島県の呉を出港。およそ2週間かけて訓練を行いながら、5月9日にサンフランシスコに到着した。

5月9日にサンフランシスコに寄港(海上保安庁HPより)
5月9日にサンフランシスコに寄港(海上保安庁HPより)

サンフランシスコではアメリカ沿岸警備隊の太平洋方面司令部の訪問を行ったほか、士官学校の学生4人も次の目的である東部メリーランド州ボルチモアまでの間、乗船した。

搭載艇操船訓練中の実習生(海上保安庁HPより)
搭載艇操船訓練中の実習生(海上保安庁HPより)

海上保安庁とアメリカ沿岸警備隊はカウンターパートとして、1948年の海上保安庁創設期からの長い連携・協力の歴史がある。近年は海洋進出を強める中国の脅威に対抗すべく「自由で開かれたインド太平洋」の実現に向けて、合同訓練や東南アジア諸国の海上警備能力向上の連携強化など、一層力を入れて取り組んでいる。こうした中で、両国の実習生の段階から、寝食を共にして訓練や交流を積み重ねていくことで、相互理解をさらに深める狙いがあるという。

アメリカ沿岸警備隊士官学校の学生乗船式(海上保安庁HPより)
アメリカ沿岸警備隊士官学校の学生乗船式(海上保安庁HPより)

夜通しのパナマ運河航行や将来への熱い思い

4年ぶりの遠洋航海にどのような思いを持っているのか、実習生の東海日和子さんに話を聞いた。

インタビューに答えてくれた実習生の東海日和子さん
インタビューに答えてくれた実習生の東海日和子さん

――4年ぶりの航海について

東海日和子さん:
コロナ禍で実習が行われていなかったのですが、私たちの代で再び実習を行うことができ、周囲の方への感謝と、嬉しいという気持ちで一杯です。

――ここまでの実習はどうだった?一番の思い出は?

東海日和子さん:
日本では見ることのできない星空を見ることができたことが一番心に残っています。また、在学中からパナマ運河の航行は楽しみにしていたので、夜通しの航行で大変でしたが、非常に思い出に残っています。

――将来はどんなことをしたい?

東海日和子さん:
決まった目標はないですが、他の若い女性たちが憧れるようなカッコイイ海上保安官になりたいなと思っていて、今はあまり人前に立つのが得意ではないですが、実習を通して自信をもって人前に立てるような海上保安官になりたいと思います。

東海さんは、ボルチモアに滞在中には、アメリカ沿岸警備隊士官学校の学生たちとステーキを食べにいく約束をしていると教えてくれたほか、日本に帰港後の12月に配属先が正式決定されることもあり、「自信を持って現場に出られるように実習を頑張っていきたい」と意気込みを語った。

また、別の実習生の稲多蛍輝さんは、将来の夢について力強く語った。

「救難業務に携わりたい」と答えた実習生の稲多蛍輝さん
「救難業務に携わりたい」と答えた実習生の稲多蛍輝さん

――これまで実習はどうでしたか?

稲多蛍輝さん:
呉を出港した時は四方八方に無我夢中に走り回っているだけでしたが、教官の熱いご指導の下、1つ1つの作業で何のために行うのか、そのために何を行わないといけないのかということを、1つ1つの意味を考えて行うことができたので成長を感じています。

――将来は海上保安庁でどんなことを?

稲多蛍輝さん:
私は救難業務に携わりたいと思っております。要救助者を助けるのはもちろんですけども、任務の時には、作業者の安全を守れるような幹部海上保安官になりたいと思います。また、日本の漁業を守りたいということが私の心の中にありますので、漁船等に従事している方のためにも尖閣等を守っていきたいと思います。

日本から学んだ「常にハードワーク」

一方で、サンフランシスコーボルチモア間に同乗したアメリカの沿岸警備隊の学生たちも、日本の実習生との交流や合同訓練が大きな成長につながっていると答えてくれた。

アメリカの沿岸警備隊の学生も日本の実習生から大きな刺激を受けた
アメリカの沿岸警備隊の学生も日本の実習生から大きな刺激を受けた

――日本の船での生活はどうだったか?

米沿岸警備隊の学生:
「こじま」での生活は素晴らしいものでした。日本の文化や海上保安庁のさまざまな側面を見ることができました。

米沿岸警備隊の学生:
日本の実習生に歓迎され、アメリカ沿岸警備隊と日本の海上保安庁の違いも学ぶことができ本当に光栄です。しかし、安全を第一に考え、人を大切にし、船の中でできる限り多くのことを学ぶという点では同じでした。

――日本の実習生との経験を将来にどう活かしていきたいか?

米沿岸警備隊の学生:
私はプエルトリコやフロリダにある巡視船で、当直士官(船を操船する士官)として働きたい。日本の方々からのアドバイスは、常にハードワークすること、そして常に監視の準備をすることでした。私たちにとって大きなカルチャーショックだったのは、彼らが徹底的な準備をして臨んでいるということです。このことをアカデミーや沿岸警備隊全体に持ち帰りたい。

船内では文化交流も行われた(海上保安庁HPより)
船内では文化交流も行われた(海上保安庁HPより)

激変する国際情勢…尖閣には大量の中国船

実習生たちは、ボルチモア滞在期間中には大使館が主催する歓迎レセプションなどにも参加し、市民との交流も楽しんだ。5日には短い滞在を終え、現在はギリシャに向かって航行中だ。このあとはシンガポール、フィリピンを経由した後に、8月に日本へ帰港する。

「こじま」の歓迎レセプションの様子
「こじま」の歓迎レセプションの様子

海上保安庁の発表する「海上保安統計年報」では、2021年だけで海上保安庁などが救難した船は1559隻、外国船や日本船の立ち入りは2万5000隻以上となり、6月に入ってからも連日のように尖閣諸島で中国の海警船が接続水域を航行していて、海上保安庁は専従体制で警備に当たっている。海警船も、大型化・武装化が進んでいて、その危険性はさらに増してきている。

ボルチモア港に停泊する「こじま」
ボルチモア港に停泊する「こじま」

東アジア情勢も激変し、中国が海洋進出を進める中にあって、海上保安庁の役割はさらに重要度を増してくるのは間違いないだろう。アメリカを含む世界各国との連携の上で、こうした脅威に対する対処もしていく必要があるだろう。

実習生たちは今後、尖閣諸島や竹島周辺の警備にも配属される
実習生たちは今後、尖閣諸島や竹島周辺の警備にも配属される

遠洋航海を終えた実習生は、12月に日本各地へと配属されるという。まだまだ実習は続いてくが、国際感覚を肌身で感じ取り、将来の幹部に向けてさらなる活躍を期待したいと感じた。

(FNNワシントン支局 中西孝介)

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中西孝介
中西孝介

FNNワシントン特派員
1984年静岡県生まれ。2010年から政治部で首相官邸、自民党、公明党などを担当。
清和政策研究会(安倍派)の担当を長く務め、FNN選挙本部事務局も担当。2016年~19年に与党担当キャップ。
政治取材は10年以上。東日本大震災の現地取材も行う。
2019年から「Live News days」「イット!」プログラムディレクター。「Live選挙サンデー2022」のプログラムディレクター。
2021年から現職。2024年米国大統領選挙、日米外交、米中対立、移民・治安問題を取材。安全保障問題として未確認飛行物体(UFO)に関連した取材も行っている。